渇きを感じるのは、すでに“遅い”タイミング

夏の暑い日、外で作業をしていた60代の男性が突然倒れ、意識を失いました。近くにいた人の通報で救急搬送されましたが、搬送時にはすでに呼びかけに反応がなく、診断は重度の熱中症。彼は倒れるまで、自分が「喉が渇いている」とも「気分が悪い」とも感じていなかったそうです。
このケースは、イスラエルのシェバ医療センター(Sheba Medical Center)の研究グループが報告した実例のひとつです。
このように、熱中症の本当の怖さは、本人がその異変に「気づけないまま、急激に重症化してしまう」点にあるのです。
では、なぜそんなことが起こるのでしょうか?
じつは私たちの体は、「水が足りない」と気づくまでに時間がかかります。
たとえば、人間の体重の1〜2%に相当する水分、すなわち体重60kgの成人なら約360〜720ミリリットルの水分を失うと、喉の渇きを感じ始めます。
これは一見ごくわずかな減少量ですが、この時点で集中力や身体能力はすでに低下を始めているのです。ただし、この段階で水分を補給すれば、基本的には深刻な影響は起きません。
問題なのは、暑い日にはその水分が驚くほどの速さで失われていくということです。

気温が35℃を超えるような炎天下では、軽作業や運動をしているだけでも、1時間あたり1〜1.5リットルもの水分を汗として失うことがあります。つまり、のどの渇きに気づいてから水を飲んだ場合、すでに体重の3%近い脱水状態に達している可能性があるのです。
体重の3%以上の水分を失うと、筋肉のけいれん、めまい、吐き気、強い疲労感などの症状が現れ始めます。そして5%以上の水分を失えば、判断力の喪失や意識混濁、最悪の場合は命の危険すらある「熱射病(重症の熱中症)」の段階に入ってしまいます。
さらに深刻なのは、高温下では脳の温度も上昇するという点です。イスラエルのシェバ医療センターとテルアビブ大学の研究によれば、体温が上がると脳の「前頭葉(ぜんとうよう)」の働きが著しく低下することが報告されています。前頭葉は意志決定や感情のコントロールを担う部位でありこの働きが低下すると、水を飲むかどうかといった基本的な判断さえ難しくなるのです。
つまり、体が危険な状態に陥っていても、「自分ではその危険に気づけない」――これこそが熱中症の最大の落とし穴です。
「喉が渇いたら水を飲めばいい」という常識は、高温環境では通用しません。のどの渇きが現れるころには、すでに脳が正しい判断を下せなくなっている可能性すらあるのです。
だからこそ、熱中症を予防するには「のどの渇きを感じる前に」計画的に水分を補給することが重要になります。
汗は“血液から作られる”冷却システム
暑い環境に置かれると、私たちの体はまず体温を一定に保とうと働きはじめます。このとき体内では「補償反応」と呼ばれる仕組みが動いています。
皮膚の表面から熱を逃がすために、体は心拍数を上げて血液を皮膚へ多く送り込みます。さらに汗腺という組織から「汗」を出すことで、蒸発によって体を冷やします。
この汗は、血液から取り出された水分や塩分などの成分でできており、血液量が減ると汗の量も減ってしまいます。つまり、汗をかくということは、体内の水分と塩分を同時に失っていくということなのです。
この段階ではまだ体は自力で体温を調整できていますが、水分補給や涼しい環境への移動ができなければ、いずれ体は限界に達してしまいます。