新アルファベット「ITA」教育が残した負の遺産
導入当初、ITAの成果は一部で高く評価されました。
多くの幼児学校教師が、ITAで学んだ児童は標準アルファベットで学んだ児童よりも読みの流暢さや理解度が優れていたと報告しています。
特に家庭に本がなく、読みの習慣がなかった子供たちには大きな自信を与えたといいます。

元教師のトニ・ブロックルハースト氏は「文字を覚えればそのアルファベット内の文章をすぐに解読できるようになり、自信がついた」と振り返ります。
しかし、この優位性は長続きしませんでした。
1966年の調査では、8歳頃にはITA学習者の読みの優位性が薄れ始めたことが示されました。
そして最大の問題は、標準アルファベットへの移行でした。
本来は全員が同じ時期に切り替えるはずが、実際には児童ごとに移行時期が異なり、同じ教室内でITAと標準文字が混在する事態に。
これにより教師は二つの表記法を同時に扱わざるを得ず、混乱が広がりました。
さらに、多くの元学習者が口をそろえて語るのは綴りの困難さです。
元生徒のジュディス・ロフヘイゲンさんは、「英語が大好きだったのに、綴りができないことが一生の劣等感になった」と話します。
そしてITAの影響をずっと受けている人もいます。
現在58歳になるマイク・アルダーさんもITAの教育を受けた一人です。
彼は電気設備の技術者として働いていますが、スペルミスは日々の課題となっており、次のように述べています。
「スペルチェック機能にいつも頼っています。
今日メールを送ったのですが、単語の15~20%に赤い下線(訂正線)が引かれていました」
また標準アルファベットへの移行に対してショックを受けた生徒も少なくありません。
その一人である元生徒マイク・オールダーさんは、「ある日突然、『今までのは間違いだった』と告げられ、裏切られた気持ちになった」と語っています。
これらの証言は、単なる学習上の課題だけでなく、心理的なダメージも伴っていたことを示しています。

一方で、研究者の中には「ITAが綴り能力に悪影響を与えたと証明する十分な証拠はない」とする声もあります。
綴りの習熟度は教師の質や家庭環境、個人の資質など多くの要因に左右されるため、ITAだけを原因と断定するのは難しいというのです。
しかし、共通して指摘されるのは検証不足です。
これほど大規模に導入されたにもかかわらず、全国的な長期追跡調査や正式な評価報告は存在しません。
失敗の原因や成功事例の分析も行われず、政策的な「教訓」として体系化されないまま終了してしまったのです。
1960年代に誕生した「ITA」は、1970年代年代にはほとんど使用されなり、今ではその存在を知っている人も少なくなりました。
現代の英国では、フォニックス(音声法)が初等教育で必修化されています。
フォニックスは既存のアルファベットを使って発音と綴りの対応を教えるため、ITAのような移行問題は起こりません。
では、「ITA」とはいったい何だったのでしょうか。
ITAの歴史は結果的に、教育改革において「シンプルにすれば必ず良くなる」という発想の危うさを教えるものとなりました。
元生徒の一人はこう語ります。
「教育は一度きり。
私たちは実験に参加させられ、説明も選択肢もなかった。
50年経った今も、その影響を感じている」
ITAの物語は、革新的な教育アイデアが必ずしも持続的な成果を生むわけではないこと、そして教育の現場では短期的成果よりも長期的な影響と社会的説明責任が何より重要であることを、半世紀越しに私たちへ警告しているのです。
そういうのは中途半端にやるのが一番よくないのですが、中途半端にやってしまった例ですね。
韓国のハングルであったり中国の簡体字であったりも文字の簡略化政策でしたけど、どちらもちゃんとうまく行っていますからね。