まだ体の細胞が生きているうちに解剖し分析する

今回の研究に参加してくれたのは、HIVに感染している6人の患者さんでした。
この患者さんたちは全員、HIV感染とは別に、がんなどの重い病気を抱えていました。
つまり、医師からも「もはや回復が難しく、余命があまり長くない」と告げられていた患者さんたちだったのです。
そんな厳しい状況にもかかわらず、患者さんたちは「自分の体を使って、HIV研究の進展に役立ちたい」と考え、この研究への協力を快諾してくれました。
研究チームは、この患者さんたちの協力をもとに、「HIVがどこに隠れ、どのように再び広がるのか」という謎を解き明かす研究に取り組みました。
具体的には、生きている間に患者さんから定期的に血液のサンプルを集めました。
血液は、全身を巡って酸素や栄養を運ぶだけでなく、ウイルスが再び広がる時の通り道にもなると考えられるため、重要な調査対象です。
そして患者さんが亡くなった直後、研究チームは速やかに解剖を行い、全身のさまざまな臓器や組織からもサンプルを採取しました。
この解剖は「迅速剖検」と呼ばれる特別な方法で行われ、死後6時間以内に実施されました。
これは、細胞やウイルスの遺伝情報が壊れる前に、生きていた時に近い状態の情報を取り出すためです。
今回の研究で採取された臓器は、脳、腸、リンパ節、肝臓、腎臓、脾臓、生殖器などを含む28か所にも及びました。
これほど多くの部位を同時に詳しく調べることは、通常のHIV研究では極めて難しく、迅速剖検ならではの大きな特徴です。
研究チームは、採取した血液や臓器の試料をもとに、そこに含まれるHIVの遺伝子配列を徹底的に解析しました。
この解析によって、研究チームは「HIVが体のどの部位に潜みやすく、治療が止まるとどのように再び体内に広がっていくのか」を明らかにすることを目指しました。
その結果はとても驚くべきものでした。
患者さんのうち4名は亡くなる直前まで治療薬を飲み続け、残りの2名は亡くなる数週間前に薬の服用をやめていましたが、どちらの場合も、HIVは全身のほぼ全ての組織から見つかったのです。
特に研究チームは、ウイルスが持つ重要な遺伝子である「エンベロープ遺伝子」が、欠けたり壊れたりせずに完全な形で、調べた28の部位すべてに存在することを確認しました。
つまり、ウイルスが生き延びて増殖するために必要な遺伝子が、全身の広範囲の臓器に潜んでいたのです。
一部の遺伝子は欠けていましたが、多くのウイルスが完全な遺伝子を保っていたという事実は、体内で再び活発に増えられる状態にあったことを示しています。
ただし、今回の研究はあくまで遺伝子の「形」だけを調べたものであり、実際にこれらのウイルスがすぐに増殖を始められる能力を持っているかどうかまでは調べていません。
この解析で特にHIVが多く潜んでいることが分かったのは、腸やリンパ節といった免疫細胞の集まる場所でした。
しかし、それら以外にも脳や肝臓、腎臓、脾臓など、多くの臓器からもウイルスが検出されました。
このことから、薬による治療が続いている間は静かに眠っているものの、ウイルスは広い範囲でひそかに生き残っていると考えられます。
また今回の研究には、別の重要な発見がありました。
先にも述べたように、参加した患者さん6人のうち2人は、亡くなる前に自らの意思でHIV治療薬を飲むのを中止していました。
薬を飲まなくなればウイルスは再び増えることが予想されたため、この状況は研究チームにとって、薬の効果が切れた時に体内で何が起こるかを観察する絶好のチャンスになりました。
実際、この2人では薬を止めてからすぐに血液中のHIVが再び現れ、急激に増えました。
さらに興味深いことに、亡くなった後に採取した体内の組織の解析から、この再び現れたウイルスの多く(65〜80%)が非常に似た遺伝子配列(ほぼ同じ型)を持っていることが判明しました。
そして、同じ型のウイルスが血液を通じて体内の多数の組織に再び広がっていることが確認されたのです。
これは、薬が効いていた間は静かに潜んでいたウイルスが、薬がなくなった途端に血液を通じて再び全身へと移動し、広がっていった可能性を示しています。
研究チームは、このウイルスの広がり方を、遺伝子の系統解析という方法で明らかにしました。
ウイルスが血液を通じて体中に広がる様子は、まるで小さな火種が再び大きく燃え広がっていくかのような、非常に衝撃的な結果でした。