植物と動物に共通する“仕組み”とは

植物には神経がありませんが、刺激に対して素早く反応する種類が存在します。
ミモザが葉を閉じたり、ハエトリグサが虫を捕らえたりする反応は、動物の神経伝達に似た電気信号(活動電位=細胞が刺激を伝えるために発生させる電気的な合図)で引き起こされます。
しかし、麻酔薬がなぜこのような植物の反応を止めるのかは、長年謎に包まれていました。
麻酔薬は人間や動物の神経系に働きかけ、意識や感覚を遮断するために用いられますが、神経系を持たない植物にも同じような効果がある理由については、科学者たちの間で議論が続いていました。
特に興味深い点は、麻酔薬には化学的に全く異なる種類があり、それらが共通して動物や人間の意識を消失させる作用を持つことです。
たとえば、ジエチルエーテルやリドカインのような化学的に異なる物質が植物にも同じように効くことは、麻酔作用が特定の受容体(細胞が外部の刺激を受け取るための構造)を介するだけでなく、細胞膜そのものの性質を変化させることで生じる可能性を指摘しています。
そこで今回の研究チームは、植物に対してこれらの麻酔薬がどのように作用するかを具体的に解明するため、多様な種類の植物を用いて統合的な実験を行いました。
実験では、植物の動きが麻酔薬により停止することだけでなく、その一例として(ハエトリグサで)原因となる電気信号が遮断される様子を示しました。
さらに、近年の研究では、細胞レベルでの観察を通して、植物細胞の膜の輸送活動(エンドサイトーシス=細胞膜を通して物質を取り込む仕組み)や活性酸素(ROS=細胞に影響を与える活発な酸素分子)のバランス、さらにはクロロフィル合成といった植物特有の生理現象にも影響が及ぶことを突き止められました。
こうした結果から研究チームは、麻酔作用が特定の受容体だけでなく細胞膜そのものの性質を変化させることで生じる可能性を指摘しています。
コラム:植物と動物に共通する“仕組み”とは?
植物に対する麻酔実験により、多くのことが明らかになり、麻酔に対する植物と動物の意外な共通点もみえてきました。
まず見えてくるのは、“からだの中の連絡網”がよく似ていることです。動物の脳神経は電気のパルスで情報を送りますが、植物も傷つけられたときなどには、カルシウムイオンの波と電気信号を組み合わせて、離れた葉へ「危ないぞ」という合図を一気に広げます。ハエトリグサでは、この合図の起点になる“トリガー毛”のカルシウム—電気の連続反応自体が、エーテル麻酔で起こらなくなることが示されました。つまり麻酔は、動物でも植物でも“合図を合図として広げる力”を弱めるのです。
その合図が流れる“道”の材質も共通です。神経細胞でも植物の細胞でも、表面は脂質二重膜という“油っぽい薄い膜”でできています。古くから多くの麻酔薬ほど油に溶けやすい(=膜になじみやすい)という経験則が知られ、現代の研究でも、揮発性麻酔薬がこの膜の柔らかさや厚み、揺らぎを変えてしまうことが示されています。膜の性質が変わると、その上で開け閉めするイオンチャネル(電気の流れの蛇口)の動きも変わり、全体として“連絡網”が鈍る——これは生物の種類を超えた共通現象だと考えられます。
“荷物の出し入れ”も同じです。細胞は、膜で包んだ小さな荷物(小胞)を出し入れしながら、受け皿の数を調整したり、情報の受け渡しをしています。植物の根や葉では、麻酔下でこの小胞の回収(エンドサイトーシス)が目に見えて鈍り、ハエトリグサの行動停止と並走して起こることが確かめられました。動物の神経でも、麻酔がシナプスでの小胞リサイクル(使った受け皿の回収)を乱し、結果として“会話の続け方”を失わせる、という観察が報告されています。舞台(膜)が緩むと舞台装置(小胞の出し入れ)ももたつき、上演(全身の応答)が止まる、というわけです。
さらに“合図の結果として起動するプログラム”にも共通項があります。ハエトリグサでは、触刺激や傷が引き金になる防御・消化プログラム(ジャスモン酸経路)が、麻酔中はオンになりません。動物の麻酔で私たちが眠りに落ち、知覚や注意のプログラムがオフになるのと響き合う現象です。分子の詳細は違っても、「合図が流れにくくなる」「受け渡しが鈍る」「下流の大仕事が始まらない」という三段重ねの止め方は、 kingdoms(界)をまたいでよく似ています。
もちろん、だからといって「植物が痛みを感じる=動物と同じ意識がある」とは言えません。植物には中枢神経も脳もなく、“感じ方”は根本的に異なります。研究者が強調しているのは、麻酔が止めているのは「痛み」ではなく、すべての細胞が持つ共通の情報インフラ——膜、イオンチャネル、小胞、そして電気・カルシウムの波だという点です。麻酔が原生生物から植物、動物にまで効くという事実自体が、その共通インフラの存在を物語っています。
最近は、動物で知られた仕組み(チャネルの内側ポケットに麻酔分子がはまり込む、あるいはチャネルを調整する“脂質”の座を横取りする)と、植物で観察される現象(電気・カルシウム波の途絶、小胞の滞り)が、一本の線でつながる絵も描けつつあります。たとえば“局所麻酔薬”の代表であるリドカインは、植物でもシグナルの乱れを引き起こし、電気—カルシウム系の脆さを示す材料になっています。まだ「どの分子をどこで止めているか」の決着はついていませんが、少なくとも“止まっている場所”は動植物で不思議なほど重なります。
結局のところ、植物と動物に共通する“仕組み”とは、細胞膜を舞台に、イオンチャネルと小胞交通が織りなす情報のインフラです。麻酔は、その舞台の響きをほんの少し変え、蛇口や宅配の回転を鈍らせ、団体芸のように連携して動く電気・カルシウムの波を静めます。だから、神経がなくても植物は“静かになる”。そして私たち動物は“眠る”。違う生きものでも同じように効く——その共通点こそが、麻酔という不思議な現象の核心なのです。
つまり今回の一手は、従来の「動物特有の神経系に作用する」という理解を超え、麻酔がより根本的で普遍的な生命現象を標的としている可能性を示したことにあります。
これによって、植物をモデルにした麻酔作用の新たな理解が期待されるようになったのです。
植物に麻酔が効くという現象は、単に“動かなくなる”というより、「感覚→伝達→防御・代謝応答」という情報の階層構造のうち、特に“伝える”フェーズ、つまり遠くまで信号を伝播させる部分が麻酔の主要な標的になっているという点です。
これは、従来「植物運動が止まる」だけが報告されていた段階から、どの段階が止まるのかを具体的に切り分ける研究へと進んだことを意味しています。
実際、別の研究ではハエトリグサでは消化腺の活性化などが、ジエチルエーテル麻酔で立ち上がらないことが示されました。触刺激でも、傷でも、餌を“獲物”として認識できない状態になり、麻酔解除で正常に戻ります