36世代かけて「人と遊ぶマウス」を育てた科学者たち
研究チームは、まず「なつきマウス」が本当に人と“遊ぶ”のかを確かめることにしました。
方法はシンプルです。
36世代をかけて品種改良を受けた「なつきマウス」と「普通のマウス」そして「普通のゴールデンハムスター」を用意します。
そして人の手でくすぐりながら、それぞれの反応を観察したのです。
動きはカメラで撮影し、声は特殊なマイクで記録しました。
この声は人間の耳には聞こえません。周波数が2万ヘルツを超える「超音波」だからです。
結果は驚くほどはっきりしていました。
なつきマウスは、まるで子イヌのように人の手にじゃれつき、背中をくすぐられると20キロヘルツ以上の超音波を何度も出しました。
そして何より特徴的だったのは、彼らがくすぐられたあとに見せた行動でした。マウスたちは、まるで「もう一回!」と言うかのように、研究者の手を追いかけ始めたのです。
データを見ると、なつきマウスがこの“追いかけっこ”に使った時間は全体の約半分。
一方で、普通のマウスはおよそ3割ほどしか追いませんでした。
つまり、なつきマウスは普通のマウスの1.6倍以上も人の手を追いかけるほど遊びに積極的だったのです。
この行動の違いは「単なる好奇心の差」では説明できません。くすぐりに反応して鳴くということは、「快い刺激」として受け止めている証拠です。
ラットがくすぐりを“ごほうび”として感じるように、マウスにも似た感情が働いていると考えられます。
人を怖がらない性質が強くなると、「遊びたい」という行動が自然に表れる。
この点は、社会性を生む脳の仕組みを理解するうえでとても重要です。
さらに、なつきマウスは仲間との関係でも変化を見せました。
オス同士で軽く押し合い、跳ね回り、取っ組み合うようにして遊んでいたのです。
しかもその最中には、人と遊ぶときと同じように超音波の声を出していました。
一方で、普通のマウスではこうしたやりとりがほとんど見られず、交流が少なめでした。
人になれるように選抜したことが、仲間同士の「社交性」までも高めていたのかもしれません。
ではハムスターはどうだったのでしょうか?
ハムスターはもともとペットにもなる動物ですが、人に対してはマウス以上にマイペースです。
実験でくすぐってみても、なつきマウスほど喜んではくれませんでした。
人の手に興味を示す個体もいましたが、その追いかけ行動はごく控えめで、超音波の鳴き声もくすぐりに特に合わせて増えることはなかったといいます。
一方で、ハムスター同士を対面させると状況が一変しました。
オスの若いハムスターのペアは激しく取っ組み合うようにじゃれ合い、時にボクシングのように向かい合って立ち上がり、相手を押し倒すような動きも見せました。
まさに本気の遊びです。当然その間は超音波の鳴き交わしも頻繁で、人といる時にはほとんど見られなかった賑やかな声が飛び交いました。
興味深いことに、ハムスターでも遊び相手が人か仲間かで鳴き声の特徴が異なり、相手を区別して発声パターンを変えている点はマウスと共通していたそうです。
つまり「ハムスターは人には塩対応でも仲間とは思いきり遊ぶ」というように相手に応じて「遊びの声を使い分ける社会的な知性」ハムスターにも備わっていたということになります。
この発見は、動物たちの「感情表現」が想像以上に複雑であることを示しています。
ここまでの結果から見えるのは、マウスが「人と遊べる」動物になり得るという事実です。
人を怖がらない性質を選び続けるだけで、これまで見られなかった“遊び心”が自然に表れました。
言い換えれば、長い時間をかけて人間と関係を築いてきた犬や猫の進化の一端を、マウスで再現できたということです。
しかも、これはたった数十世代(約36世代)の選択交配で起きた変化なのです。
家畜化という進化のプロセスを、まるでタイムラプスのように目の前で観察したかのような研究といえます。