“モノ”を愛する人たち――オブジェクト・セクシュアリティとは何か?
オブジェクト・セクシュアリティ(Object Sexuality/Objectophilia)とは、人間ではなく無生物に対して恋愛感情や性的興奮を覚える傾向のことを指します。
これは日本では「モノ性愛」と訳されたりしています。
心理学的には「パラフィリア(paraphilia)」――つまり一般的でない性的嗜好の一種に分類されますが、近年ではそれを病気ではなく“性的指向の多様性”として理解すべきだという主張が強まっています。
実際のケースに見る「モノ性愛」
代表的な例として知られるのが、エッフェル塔と結婚した女性エリカ・エッフェルさん(本名はErika LaBrie)です。
彼女は2007年にパリのエッフェル塔との「結婚式」を挙げ、塔の鉄骨を優しく撫でながら「彼は私の伴侶だ」と語りました。
この事例は一時的なパフォーマンスではなく、真剣な愛情関係として本人が長年築いてきたものだといいます。
同様に、ドイツではベルリンの壁に強い愛情を抱いた女性や、楽器やフェンス、橋、建築物をパートナーとみなす人々も報告されています。
2009年に報告されたマーシュ博士の調査では、21人のオブジェクト・セクシュアル当事者のうち、多くが「モノには意思があり、相思相愛の関係が成立する」と信じていることが分かりました。
彼らにとって、その“モノ”は単なる物体ではなく、人格を持ち、心で通じ合う存在なのです。
このような傾向は、単なるフェティシズム――特定の物体や素材に性的興奮を覚える嗜好――とは異なります。
オブジェクト・セクシュアリティでは、性欲だけでなく恋愛感情や深い絆の感覚が伴うのが特徴です。
なぜ無生物に惹かれるのか?
イギリス・サセックス大学の心理学者ジュリア・シムナー博士(Julia Simner)らの研究は、この疑問に神経科学的な調査から迫りました。
彼らが2019年に発表した論文によると、オブジェクト・セクシュアルの人々には自閉スペクトラム特性(autism spectrum traits)や共感覚(synesthesia)の傾向が高いことが示されました。
共感覚とは、ある感覚刺激が別の感覚と連動して感じられる現象のことです。
たとえば、音を聞くと色が見えたり、文字に特定の感情を感じたりするような状態を指します。
この研究では、オブジェクト・セクシュアルの人々が無生物を“生きているかのように感じる”知覚特性を持っている可能性があると指摘されました。
その結果、人間ではなく“形”“素材”“動き”といった要素に情緒的な魅力を感じやすくなるのです。
またマーシュ博士のインタビュー調査でも、モノに「エネルギー」や「心」を感じるという証言が多く見られました。
つまり、オブジェクト・セクシュアリティとは、共感覚を背景とした無生物に対して人のような感情や人格を感じ取る、独特な感覚処理の傾向を持つ人々に見られる現象だと言えます。
つまり、彼らにとって「モノ」は単なる物理的な構造物ではなく、感情や存在感を伴って知覚される対象なのです。
さらに特殊な「動き」や「現象」に惹かれる人たち
オブジェクト・セクシュアリティの中には、さらに特殊なタイプとして、「動き」や「現象」そのものに性的魅力を感じる人々もいます。
たとえば、水が吹き出す瞬間、煙がゆらめく様子、機械が規則的に振動する動きなどに強い興奮を覚えるケースです。
例えば液体に惹かれるというような傾向は、フェティシズム研究で知られる「体液フェティシズム(fluid fetish)」や「尿性愛(urolagnia)」などと一部重なりますが、より抽象的で、“流体の動きそのもの”に惹かれるなどの点が特徴です。
心理的には、流れるもの・噴き出すものに「生命の象徴」や「快楽の放出」といった意味を投影している場合もあります。
しかし、このタイプは非常に珍しく、研究対象になることはほとんどありません。物質の動きや流体は適切な再現が難しく、実験やアンケートでも把握されにくいためです。
そのうえ、社会的に語りにくいテーマであることから、当事者が公に話すことも少ないのが現状です。
研究者の中には、このような傾向を“現象性愛(phenomenon sexuality)”と呼び、オブジェクト・セクシュアリティの一変種として位置づける仮説を提案する者もいます。
ここでは物体そのものよりも、「物体が示す動き・エネルギー・刺激構造」に惹かれるとされます。
言い換えれば、人間の感情や性欲が、物理現象のなかに“生命の形”を見いだすという不思議で奥深い現象だといえるでしょう。