特殊な性癖は病気なのか?
オブジェクト・セクシュアリティは、医学的には「パラフィリア(paraphilia)」の一種として扱われることがあります。
しかし、近年のDSM-5(精神障害の診断と統計マニュアル)やICD-11(国際疾病分類)では、“興味(interest)”と“障害(disorder)”を区別する立場が取られています。
つまり、その傾向が本人や他者に苦痛や機能障害をもたらさない限り、病理ではなく「性的多様性」として理解されるべきだとされているのです。
また倫理的には、無機物が対象であるため“同意”の問題は生じません。
ただ理解されにくい性的指向は、社会的スティグマや偏見によって、当事者が孤立したり誤解されたりすることがあります。
臨床の現場では、本人が苦痛を感じていない限り、治療対象とするよりも、自己理解と受容を支援する方向が望ましいと考えられています。
また、近年はオブジェクト・セクシュアリティを公に語るコミュニティも生まれています。
そこでは「モノと人の関係性」を芸術的・哲学的に考える動きもあり、社会的理解の芽が少しずつ広がっています。
性愛の多様性を拡張する新しい視点
オブジェクト・セクシュアリティは、奇異なものではなく、人間の感覚と感情の多様さを示す事例といえます。
物体の動きや無機物の形に“生命の輝き”を感じ、性的な興奮を覚えることは、私たちの脳が本来持つ創造性や共感力の一側面です。
今後は、こうした現象を「異常」と切り捨てるのではなく、どのように感じ方が形成され、脳が世界をどのように意味づけているのかという視点から探る研究が求められます。
とくにほとんどの人にとっては性的対象にならない建物などの”モノ性愛”や、流体や動きといった“現象性愛”の領域は、これからの神経科学・心理学に興味深い発見をもたらすかもしれません。
あなたにとって、“性的興奮”とは何を意味するでしょうか。
性的なものを排除しようという動きも社会では活発ですが、そもそも何が性的に見えるのか? という問題は人それぞれであり、そこに明確な答えはありません。
性をめぐる理解が画一的になりがちな今だからこそ、「何が美しく、何に惹かれるのか」という人それぞれの感性を、もっと自由に、もっと寛容に見つめ直すことが求められているのかもしれません。
締め出したい人たちは自分が理解できないものや嫌いなものを締め出すために屁理屈こねてるだけなので、そこに理屈ぶつけても時間の無駄です。
理屈こねてると利口そうに見えるからやってるだけのことですからね。