ジャガイモを守る“自殺ふ化”の科学 害虫を騙す分子トリック

研究チームはまず、可能性のありそうな物質を手当たり次第に探しました。
東京大学創薬機構が持つ約9,600種類の化合物ライブラリーを使って、大量の候補物質の中から線虫の孵化を促す物質をスクリーニング(ふるい分け)したのです。
その結果、ジャガイモシロシストセンチュウに孵化を促す効果がありそうな物質が、わずか9種類ですが見つかりました。
さらに研究チームは、その9種類と似た構造の市販物質を191種類追加で取り寄せて試しました。
地道な探索の末、その中から線虫卵の約89%を孵化させる強力な物質が見つかりました。
その化学名は「5,5-ジメチル-4-フェニルピロリジン-2-オン」といい、環状のシンプルな骨組みを持つ分子です(これは5員環ピロリジンにメチル基とフェニル基が付いた構造を意味します)。
非常に複雑な天然物質のソラノエクレピンAとは違い、この新しい物質はかなり単純な構造でした。
大量に作れる可能性もあるため、研究チームは「これなら実用化できるかも」と手応えを感じました。

しかし彼らはそこで満足せず、さらに「合図の改良」を始めました。
最初に見つけた物質をベースとして、その構造の一部を少しずつ変えた類似物質を合成し、効き目を比較したのです。
実際に210種類もの新たな類似物質を作り出し、一つひとつ線虫の卵への効果を確認しました。
その結果、最初の物質よりもさらに強力な「合図」が次々と見つかりました。
中には濃度10ナノグラム毎ミリリットル(10 ng/mL)という極めて薄い濃さでも、90%以上の孵化を起こす、驚くほど効果の高い物質も複数ありました。
これは目覚まし時計で例えれば、ほんのわずかな音でも確実に目覚めさせる鋭いアラームのようなものです。
詳しく分析した結果、線虫が孵化の合図として認識するのは、「5員環構造にフェニル基、ジメチル基、カルボニル基が組み合わさった、鍵付きのような構造」であることがわかりました。
つまり、ジャガイモシロシストセンチュウの孵化スイッチは、特定の形をした「分子の鍵」で開けられると考えられるのです。
では、その「特製の鍵」を使えば本当に線虫を自滅に追い込めるのでしょうか?
研究チームは実際の畑で実験を行いました。
見つけた有望な物質(5,5-ジメチル-4-(p-トリル)ピロリジン-2-オン)を合成し、線虫がいる実験用の畑の土に散布したのです。
その結果は期待を上回りました。
散布量が30 mg/㎡(平方メートル)で、約90%の卵密度の低下を確認したのです。
さらに3 mg/㎡という少量でもはっきりとした効果がありました。
これは孵化した幼虫が寄生対象の植物がなくて次々と餓死したことを意味します。
つまり人間が化学物質で線虫に嘘の合図を送り、「土の中で安全に眠っていればいいものを、わざわざ目覚めさせて飢え死にさせる」という作戦が成功したわけです。
このような合図を利用して害虫をコントロールする方法は、寄生生物に対する新しい対処法として注目されます。
興味深いことに、今回見つけた孵化促進物質はジャガイモシロシストセンチュウ専用の「鍵」のようでした。
近縁種の別のジャガイモシストセンチュウ(Globodera rostochiensis)には、この物質で孵化を誘導する効果はありませんでした。
言い換えると、線虫の種類ごとに「起きろ!」という合図の「パスワード」が異なっているということです。
これは課題でもありますが、逆にいえば目的とする害虫だけを選択的に誘い出すメリットでもあります。
今回の物質は他の生物を殺す毒薬ではなく、「特定の害虫だけに間違ったタイミングで目覚ましをセットする道具」であるため、環境への悪影響も少なくできる可能性があります。
寄生する相手のいない場所で静かに死を迎えさせるという、前例のない間接的な駆除法ですが、その効果は実際に証明されたのです。