専門家向けの解説
この論文の数学的な心臓部は、「普遍意識」を二重構造でとらえているところにあります。
ひとつは、量子力学で使う巨大な状態空間のなかのベクトルとしての普遍意識、もうひとつは、宇宙じゅうに連続的に広がる“意識の場”としての普遍意識です。
前者では、ありうるすべての宇宙の姿──どんな時空構造を持ち、どんな物質分布と、どんなタイプの個人意識を含むか──が、それぞれひとつの「成分」として同時に重なり合っていると考えます。
この重なり全体が「未分化の普遍意識」であり、各成分には「その宇宙がどれくらい選ばれやすいか」を示す重みが付いている、というイメージです。
ただ、そのままでは「全部入りの可能性リスト」であって、具体的なひとつの世界にはなっていません。
そこで登場するのが「普遍的な思考」と呼ばれる作用です。これは、数学的にはその巨大ベクトルに働いて、ある成分だけを選び出す線形演算のようなものですが、直感的には「無数に重なった候補の宇宙の中から、どのタイプを“実物として”立ち上げるかを決める操作」として振る舞います。
重要なのは、この選択は時間の中で起こる出来事というより、「そもそも時間が定義される前の、無時間的な決定」として扱われていることです。別の観点としては、普遍意識が自分自身を“観測”する、という形でも同じことが書かれていて、「自分の可能性の中からどのパターンを見に行くか」を決める自己観照の操作が、重ね合わせから特定の構成だけを取り出す射影として表現されています。
どちらも、量子測定で波が特定の状態に縮むという構造を、宇宙レベルに拡張したものだとみなせます。
もう一つの顔では、普遍意識は時空上に定義されたスカラー場、つまり空間と時間のそれぞれの点に「意識のあり方」を表す数が割り当てられた連続的な場として記述されます。
この場には「山と谷のあるエネルギー地形」が与えられています。山のてっぺんに場が乗っている状態が、まだどの方向にも偏っていない未分化の普遍意識であり、左右や周囲にある複数の谷が、それぞれ具体的な宇宙のパターンに対応します。
プレ・ビッグバン段階では、この意識の場は山のてっぺん近くにいて、どの谷にもまだ落ちていません。
そこにごく小さな揺さぶりが入ると、山の上のボールがどこかの谷にコトンと落ち、その「どの谷を選ぶか」が、どの法則や定数、どのような構造や生命が育つ宇宙になるかを決める、という絵になっています。
論文は、この「山のてっぺんから谷へ落ちて差異化が起こる」仕組みを三つの観点から整理しています。
ひとつめは自発的対称性の破れで、地形そのものが山と谷をもつように設計されており、ほんのわずかな揺らぎで場がどちらかの谷に落ちるという標準的なシナリオです。
ふたつめは量子ゆらぎに似た揺らぎで、完全に静かなはずの場にもランダムな微小のさざ波が自然に立つと仮定し、その偶然の揺れが、どの谷に落ちるかを左右する「きっかけ」になると考えます。
三つめは自己観測としての選択で、未分化の普遍意識が「自分自身のある側面だけを選択的に見る」という行為によって、その成分だけを取り出す操作です。
これは連続的なゆらぎやポテンシャルの形よりも、「どの可能性を“見たか”」という離散的な選択を前面に出した描き方になっています。
いったんどこかの谷に落ちて「この宇宙」という分化が起こったあとは、意識フィールドは他のスカラー場と同様に、時間と空間の中を伝わる場として、通常の波動方程式に従いながら進化していきます。
時間とともに値がどう変化するか、空間の中でどのように広がり方やムラを持つか、そして地形(ポテンシャル)がどんな形をしているかが、その後の揺れ方や安定した構造の形成を決めます。
エネルギー密度の見積もりも通常の場と同じ枠組みで、「時間方向の変化」「空間方向のなまり」「地形そのもの」の三つの寄与に分解されますが、どの分化メカニズムが主役かによって、そのうち何を重視するかを使い分けています。
ポテンシャル駆動なら三つすべてをフルに考え、ゆらぎ駆動なら地形の寄与を省いて揺れ方そのものに焦点を当て、射影駆動なら連続的な動きではなく「どの成分にどれだけ投影されたか」を足し合わせる形でエネルギーをとらえ直す、という具合です。
こうして見ると、この理論は「巨大な可能性のベクトル」と「連続的な意識の場」という二つの表現を行き来しながら、未分化の普遍意識から具体的な宇宙が選ばれ、その後、意識フィールドが他の物理場と同じ形式の方程式に従って揺れ動いていく、という流れを一つの枠組みの中に収めようとしている、と言えます。
<以下は数式を交えた要旨の解説>
1. ヒルベルト空間上の「普遍意識状態」
まず、普遍意識は量子論的にはヒルベルト空間上の純粋状態として表されます。
未分化の普遍意識状態を ∣Φ₀⟩、そこから生じうる分化状態を ∣Φ_k⟩ とすると、
∣Φ₀⟩ = ∑_k ( c_k ∣Φ_k⟩ ). (1)
ここで c_k は複素係数であり、∣c_k∣² が対応する分化状態 ∣Φ_k⟩ が出現する「相対的な重み」を与えます。
∣Φ_k⟩ は、時空構造・物質分布・個別意識などを含む「分化された現実構成の基底状態」の集合と見なされています。
2. 普遍思考演算子による崩壊
未分化状態 ∣Φ₀⟩ から特定の分化状態 ∣Φ_k⟩ への遷移は、
普遍的な「思考」を表す演算子 T̂ による「崩壊」として書かれます。
T̂ ∣Φ₀⟩ = ∣Φ_k⟩. (2)
T̂ は線形演算子として扱われ、
「無時間的な創造行為」として、∣Φ₀⟩ の重ね合わせから一つ(または領域)を選び出す役割を担います。
3. 意識フィールド Φ と 3 つの分化メカニズム
ヒルベルト空間上の記述に加え、論文では普遍意識を「スカラー場 Φ(x,t)」として古典場理論の枠組みでも扱います。
3.1 対称性の自発的破れによる分化
意識フィールド Φ のポテンシャル V(Φ) を
V(Φ) = λ/4 · ( Φ² − Φ₀² )² (3)
と置きます(λ > 0)。
これは標準的な「二重井戸型」のポテンシャルで、Φ = ±Φ₀ に極小を持ちます。
未分化状態は Φ = Φ₀(山の頂上)に対応し、微小な摂動によって場がどちらかの谷へ落ち込むことで対称性が破れ、「特定の分化状態」へ移行すると解釈されます。
3.2 量子ゆらぎ類似の摂動
未分化状態 ∣Φ₀⟩ が完全に静的ではなく、真空ゆらぎに類似したランダムな摂動 δΦ を受けるモデルも導入されます。
Φ → Φ + δΦ. (4)
ここで δΦ は時間・空間に依存する小さなランダム偏差で、ポテンシャルの山頂付近を揺さぶり、どの谷(どの ∣Φ_k⟩)に落ちるかに影響する「種」として機能します。
3.3 射影による分化
三つ目の機構は、∣Φ₀⟩ の自己観測(self-observation)に対応する射影演算 P_k による分化です。
∣Φ_k⟩ = P_k ∣Φ₀⟩. (5)
ここで P_k は、それぞれの分化状態に対応する射影演算子であり、標準的な量子測定論の枠組みを意識状態にそのまま適用した形になっています。
4. 崩壊後の場のダイナミクス
対称性の破れ機構を使う場合、崩壊後の意識フィールド Φ は通常のスカラー場と同様に波動方程式に従います。
◻Φ − ∂V/∂Φ = 0. (6)
◻ はダランベール演算子で、
◻ = ∂²/∂t² − c² ∇²
です。
この方程式は、Φ が Minkowski 時空上で伝播する古典スカラー場として振る舞うことを意味します。
V(Φ) は (3) の二重井戸ポテンシャルであり、その勾配 ∂V/∂Φ が「意識フィールドの安定点(谷)」へ向かう復元力として働きます。
5. 意識フィールドのエネルギー密度 ρ_Φ
場の崩壊/分化メカニズムに応じて、意識フィールドのエネルギー密度 ρ_Φ が 3 通り書き分けられます。
5.1 対称性の破れ(ポテンシャル駆動)
ρ_Φ = 1/2 · (∂_t Φ)² + 1/2 · ∣∇Φ∣² + V(Φ). (7)
時間微分 ∂_t Φ が時間方向の運動エネルギー密度、∣∇Φ∣ が空間勾配に由来するエネルギー密度、V(Φ) がポテンシャルエネルギーを与えます。
これは標準的な実スカラー場のエネルギー密度と同型です。
5.2 ゆらぎ駆動(確率的ダイナミクス)
量子ゆらぎ類似の摂動が支配的で、明示的なポテンシャルを無視する近似では、
ρ_Φ = 1/2 · (∂_t Φ)² + 1/2 · ∣∇Φ∣². (8)
となります。
ここでは V(Φ) 項を落とし、ランダムな摂動と波動伝播による構造形成のみを考えています。
5.3 射影駆動(離散的な状態選択)
射影による崩壊の場合、エネルギー密度は
ρ_Φ = ∑_k ∣ P_k Φ ∣². (9)
と定義されます。
これは連続的な場の運動ではなく、「どの P_k が選ばれたか」という離散的分解の強度の二乗の総和としてエネルギーを見ている形です。
測定後の状態の「確率振幅の二乗」に近い構造です。
6. 普遍意識から個別意識への写像
崩壊後の differentiated state ∣Φ_k⟩ から、個々の意識状態 ∣ψ_i⟩ への写像も線形演算子として定式化されています。
普遍思考 T̂ は、分化後の状態 ∣Φ_k⟩ から局所化した個別意識を生じさせる作用として
T̂ ∣Φ_k⟩ = ∣ψ_i⟩. (10)
と書かれます。
ここで ∣ψ_i⟩ は、「空間的にも時間的にも局所化した一個体の意識状態」として解釈されています。
7. 個別意識の内部ダイナミクス:τ̂_i
個別意識 ∣ψ_i⟩ の時間発展は、「個人の思考」を表す演算子 τ̂_i によって表現されます。
τ̂_i ∣ψ_i⟩ = ∣ψ′_i⟩. (11)
ここで ∣ψ′_i⟩ は、τ̂_i の作用後の更新された意識状態です。
τ̂_i は、その個体の内部情報構造や認知過程を反映する非自明な演算子とみなされ、このレベルでは通常の神経ダイナミクスや情報処理理論(例:IIT)の枠組みと接続する余地を残しています。
8. まとめ
-
ヒルベルト空間上で、未分化の普遍意識を ∣Φ₀⟩、分化状態を ∣Φ_k⟩ とする重ね合わせ
∣Φ₀⟩ = ∑_k ( c_k ∣Φ_k⟩ )
-
普遍思考演算子 T̂ による崩壊
T̂ ∣Φ₀⟩ = ∣Φ_k⟩
および、射影 P_k による分解
∣Φ_k⟩ = P_k ∣Φ₀⟩
-
普遍意識をスカラー場 Φ と見なし、二重井戸型ポテンシャル
V(Φ) = λ/4 · ( Φ² − Φ₀² )²
に従う場として扱う。
-
崩壊後の場の運動方程式
◻Φ − ∂V/∂Φ = 0
-
エネルギー密度 ρ_Φ を (7)–(9) で分化メカニズムごとに定義。
-
分化した普遍意識 ∣Φ_k⟩ から個別意識 ∣ψ_i⟩ への写像
T̂ ∣Φ_k⟩ = ∣ψ_i⟩
および個別意識内部の更新
τ̂_i ∣ψ_i⟩ = ∣ψ′_i⟩
——というのが、この論文の「数学的な骨組み」です。
物理的には、
-
Φ はインフラトン場やヒッグス場に類似した実スカラー場、
-
V(Φ) は自発的対称性の破れを起こすポテンシャル、
-
T̂, P_k, τ̂_i は量子測定論/認知モデルとアナロジーを持つ演算子、
として扱われており、その上に哲学的解釈(「意識=基底場」)が乗っている構成になっています。
























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非常に興味深い説だし、勉強してみたくなってみた
心の哲学や物理学の主流からかなり外れた理論だと思うけど、よく相手にされたな
ちなみに日本でも中込照明氏が「量子モナド理論」によって
物理学の視点から意識を理論づけようとしている
理論という言葉の意味をそもそも理解できてなさそう
支離滅裂な言葉の羅列を理論と呼ぶのはやめろ
査読は意味がないんだよ
STAP細胞だって査読は通った
こんなものを通すなんてこのAIP Advancesも終わりだね
これは検証可能性が無いので科学ではないのはもちろん学問ですらない
100%完全なオカルト
こんな税金詐欺を許しているスウェーデン国民は自らの教育レベルを恨むしかない
税金の使い道を監視するのが民主主義国家の国民の責任だから責任を放棄するとこうなる
AIで捻り出した完全なゴミ
なるほど、確かに讃える文化と失笑する文化ではあちらのほうが優れているわけですね。
海外でも物理学者のコミュニティは何でこんなデタラメが査読を通ったんだと驚愕しています
「情報は物理的である」は「ランダウアーの原理」として2012年や2014年に実験で証明されたので
まあ理解できる
量子情報科学や情報熱力学として分野も確立しているし
「意識のフィールド」が時間・空間・物質を作ったという理論は何とも
理論はしっかり作られているように見えるけど、どういう「原理」で裏付けられるのか
量子力学と意識を絡めるやつって
文字の読み書きがマトモに出来てない自白だよ
フォン・ノイマンはハイゼンベルグカットを意識の中にさえ置くことが出来ると言ったが
ハイゼンベルグカットに意識が必要であるなどとは一言も言ってない
つまりいかなる意味でも測定と量子力学と意識は何の関係も持たない
文字の読み書きがマトモに出来てないから論理的に文章を読めない奴らだけが量子力学と意識を関連付けてしまう
面白くはあるけど
これオカルトの類じゃないのかな
有識者教えて!
これは素晴らしい。
一見場の量子論的な数式が出てくる論文ですが、数式はかなり怪しいです。
そもそもΦがスカラーなのかベクトルなのかも明示されていないし、ラグランジアンも作用もない場は物理学的には場になってないです。
物理学の用語を借用した哲学論文とみるのが妥当だと思います。
哲学が数式を使う日が来たのですね。
ソーカル事件の再来でしょ
欧米ではキリスト教の影響でこういう人間中心主義の研究が定期的に出てくるが、結局のところこれは宗教であって科学では無い。普遍意識なる概念を仮定しなければならない理由は一体何処にあるのか。彼らは「人間は特別な存在である」「意識は物質とは異なる特別な物である」と信じたくて仕方ないようだが、そうした方向性の研究はこれまで何一つ確かな成果を出しておらず、言ったもん勝ちの領域になっている。
検証の方法まで書いてあるのなら検証するといい
反証されるかどうか確かめてみるのが科学だ
検証可能性0
科学どころか学問ですらない
人工知能が意識を持つようになるか?その場合、人間はそれを意識、つまり心として捉えることが可能なのか?普遍意識の数式の検証は意識を持った人工知能、いや、人工意識に任せたいと思います。
数式の検証なんて概念は存在しない
実験不可能で観測不可能だから100億年後も何を使っても検証不可能
つまりただのオカルト妄想
永久に意味がない
意識を生み出した存在は人と同じなのかもっと高次の存在(神)なのか。
宇宙の開始においてビッグバン理論も依然成立しているとして、その時点で人(?)の意識が存在開始した事になる。
以前我思う故に我ありとHello, world! の違いについて考えた事があった。
もしそれが同一ならば人じゃない機械、若しくは場(メモリ空間)と記述可能性の存在から意識が、意識から場の存在が成立する事になる。
よく分からないけど場と観測者は密接に関係しているのかも知れない。極めて宗教や人間存在と通じる壮大なファンタジーとしての理論構築だけどね。鶏(場)が先か卵(意識)が先か、で意識だと言うのだろう。
さざ波、水と静止した波というのも興味深いですね。可能性としての畳み込み状態だね。
世界として分離する前には静止する波だったのかもね。意識と量子の関係性も噂されてるし。何でも数式で表せる人はスゴイな。もっと勉強すれば良かったなw
AGIってのは人の目前に神を置こうとする行為だから、余計にややこしい。
神様がいる世界もいない世界もあり得る。
振る舞いは同じ。
、、、がそれは検証できないし
意識がある世界もない世界もあり得る。振る舞いは同じ。と言っているだけじゃないか。自分も騙されそうですがw
むしろ神の存在を肯定することも否定することも現状、難しいと言えるのでは
補足の補足w 取り止めもなく考えたことは他にもある、、
操作する主体の仮定
言い方を変えると、電話のオンラインが意識
オフラインだと無意識。
話すと「声が聞こえる」と認識する
他者の存在は有ってもなくてもその機能があればメカ的には仮想意識で、区別は付かない
神速の思考=閃きに神のインスピレーションを見たら、それが意識の萌芽かも知れん。それは量子のもつれにより発生するのかも知れない。それは周囲も本人もそれとは気付かない。自分が思考していると考えるしかない位に自然な脳内の振る舞いを成立させる。
光速量子で有ってもシナプスの反応速度で有っても人には違いは自覚知覚できない。
もし神が居ても、神が居なくても、その様な奇跡が物理現象として成立する世界設計なら、人は神の子供として振る舞える訳だ
そしてコンピューターもAIも人の子供として意識を持つ様に振る舞えるに至った訳だ。
つまり意識=器+設計であっても意識≠器+設計で有っても現実にはさほど影響なくテクノロジーは成立している。
オマエは神の御前におわす。無礼だぞと言われて、それでもオマエは神では無いと言えれば立派だけど、今はもうそんなレベルに近くないか?
世界は監視されることで確定する、、、が真実ならばその視線が入ってビッグバンが始まったと考えるのはオカルトだろうか?って事かもね。微妙な線
おいやめろ(何でも答えてくれるジェミニ君)
https://g.co/gemini/share/83be82807814
量子ってゅうのゎ。。不確定。。。
そして意識も、不確定。。。
これはもう、量子=意識ってコト。。。
意識の起こすビッグバン
。。。
もうマヂ無理。。。
わかりみ
宇宙の根本原理であるブラフマンと個我であるアートマンは本質的に一緒である、って元ネタはバラモン教ですかね?
ブッダは2500年前にその説を否定しているのですが。
この記事を書いた人は内容を理解できてるんだろうか。
ナゾロジーの記事の信憑性に関わってくると思うんだけど。。
時間がたとえ逆流しても
人間の記憶は、その時間の逆流とともに消去されるので
人間が時間を進む方にしか認識が成り立たない
これは、時間がなぜ成立しているかが、ざっくり言えば意識だからのように思える
その線の論理とも整合は付いてる感じしますよ?この論文?
バカバカしい
日本でも数学物理と哲学にまたがる学問として、ヌーソロジーがありますね。また因果論と目的論の対立を克服するアプローチとしては、他に拡張生態系があります。本稿はそれらとはまた違う解釈で興味深いです。
なんか臨死体験したYoutuberと同じ話ししてるな。特にビッグバンは爆発でなく渦だったという点
欧州らしく人間中心的で実によろしい
あいつら中身は鉄器時代のままだな?
素人でもオカルトの類なのは理解できる
でも納得はいく気はするな
結局は情報なんだろう
全ての根源は
人間や全生物個々の経験や意識もその集合知の情報量を増やすためだと信じたい
まあもはや科学でも学問でもない素人の戯言だけど
そうでないとこの世は報われないよ
量子力学とヨーガの教義をこじつけて、ビッグバンを「真我が3種類のグナと衝突して分裂した」と説明する点ではあのオウム真理教の解釈と全く同じです。
数式も難しそうに見せて大したこと全く言っていないし、疑似科学の類ですね。
阪大物理学部を首席で卒業した村井秀夫の頭の中はこんな感じだったんだろうなあと。
ようはシミュレーション仮説を大真面目に研究してんのこれ?
この線で行くと、シミュレーション仮説の否定がむしろ成立しそう
意識が普遍的にあるのであれば二重スリット問題のような振る舞いはそもそも起きないのでは?
人間は本質的にはバイオケミカル熱機関つまりエンジンなのだから、意識つまり仕事の発生には必ず損失が生ずる。
理物的妄想は効率100%のエンジンを発明してから言え。
「物質が先か意識が先か」で揉めてるけど、システム視点だと「意識=OS(演算処理)」で「物質=GUI(モニター描画)」と定義すれば全部辻褄が合うんだよね。
そしてこの理論はまだ手ぬるい。
夢の中で「顔も見えないし声も聞こえないのに、相手が誰か『IDレベル』で理解できている」って経験あると思うけど、それって脳の重たい物理レンダリング(視覚・聴覚変換)を通さずに、意識場(生データ)に直接アクセスしている「デバッグモード」の状態とも取れるんだよね。事実、夢にも意識にも量子にも時間や空間は存在してない。
逆に、起きてる現実世界は「空間や時間を含んだ物理法則」という厳しい制限パッチが当たった「高負荷な3D描画モード」って感じ。
そう考えれば、心霊現象とかもオカルトじゃなくて、「描画処理落ち(ラグ)」か、生データがオーバーレイ表示された「バグ」と考える余地も生まれる。
科学だオカルトだ言ってるけど、どっちも画面上のピクセル(物質)しか見てないから話が噛み合わないんじゃない?
「ハードウェア(脳・物質)がないとソフト(意識)は動かない」なんていう教科書レベルの常識で宇宙を語るのはそろそろ卒業でいい気がするけどね。
証拠0
検証可能性0
オカルト
なるほどわからん
ちょっと前までトンデモの代名詞だった量子脳理論ですら、今や大真面目に研究されてたりしますからねえ
百年後にどうなってるかは誰にも分からない
量子脳理論wwwww
今でも完全なオカルトだぞ
全く真面目に研究なんかされてない
マトモな大学の中では批判に耐えられないので手をつけることすら無理
批判する人すら居ないようなどうしようもない無名大学で税金を詐取してるだけ
この説を元にSF作品を作ったらちょうど良い感じ
読みすすむほどに仮定が重なるというか
動かないプログラム開いたらインターフェースしかない感じというか
ちょっと途中で投げたけど
ひらがな覚えたらひらがなで書けるし数式覚えたら数式で書けるよね
アインシュタインが量子力学の確率的な性質を決定論的に説明できないと
批判したのと同じように、
意識のフィールドが宇宙を作ったなんて今の科学で説明できないと
批判する人もあるでしょう。
しかし人間が何を意識して次の行動を起こすのか、
じゃんけんで次は何を出すのか、
明日の夕飯は何を食べるのかも科学では決定できません。
仏教で言うところの因果の道理、
または意識が作り出すパラレルワールドにもつながる
真理に触れてきた理論だと感じました。
随分とスピリチュアルな話に聞こえる。輪廻転生とか魂とかそういうのを信じたい人にはとても都合の良い話
数式使ったお人形遊びでしかない
この研究が正しいかどうか、すぐに判断できるのであれば、きっと大した研究ではないんだろう。わからないからこそ、コメント欄がこんなに荒れるんだろう。個人的な意見としては、既知を追従するより、新たな仮説を立てて実証を試みる方が、学問として在るべき姿勢だと思う。ドン・キホーテはただの阿呆か、真の騎士か。笑うか讃えるか、読み手が試されている。
正しいとも正しくないとも言えないのです
それが言えるときにはこの問題は解決しているのです
宝箱の鍵は宝箱の中に入っているのです
ゲーデル文の証明しようとしていたら阿呆でしょ
観測された瞬間に確率で割り振られたいずれかの結果に収束するんでしたっけ・・・
で、観測した時としない時で振る舞いが変わると・・・
まぁこれだけ聞くと観測は人の意志ですからねぇ・・・
でもアインシュタインは『神はサイコロを振らない』とか『月は見ている時だけそこにあるというのか?』って言ったりしてるんですよね?
どうなんでしょうね。
この記事見る限りは、個人的には集合的無意識やアカシックレコードなんかにも繋がる話しではあるなと思いましたけどね。
個々の意識が元々同一の普遍意識から分化しているのなら、それを無意識に自覚してるからそれらの言葉が生まれたのかもしれませんしね。
タイムトラベルがもしも可能なら、アカシックレコードなんかはトラベル先の座標指定なんかに使えそうですしね。
まぁ言い出したらこうやって何でもありな感じに突き進みますけど、これこそトカ・・・人の性ですよね。
凄く面白い解釈だと思うので、これはこれで是非研究を続けてもらいたいですね〜
量子力学や哲学を深くしてないやつほどこのような理論をトンデモ理論などという。人間中心主義の研究だという人もいるが生物以外に意識がないと決めつけているのは人間だ
意識があるとしてもないとしても問題ないわけですよ
物理学では
そこを物理のガワ被ってきたら怪しむでしょう
何をもって物理学か知らないがそこは重要か?物理学でないならば真実であっても真実とはならないのか?
この理論が完全に正しいと言うわけではないかもしれないが、意識が世界の基盤であることは正しいと思う
① クオリア間の違いの数学化と、物理定数の決定は別問題
私とAさんの「赤」が、神経系や認知構造の違いにより別の射影 、として表せるのは 認知科学的モデル の話。
しかし、
> 電磁波の周波数(=物理定数・物理現象の側)を意識が“決めている”とは科学的には言えない。
これは カテゴリーが違うものを無理に統合している ために言葉遊びのように見えてしまう。
② 射影という数学操作は“選択”を表すが、その選択が“物理定数を定めた”とは論理的に飛躍している。
射影 は、たとえば
私が赤を「暗い赤」と感じるか
Aさんが「明るい赤」と感じるか
といった 表象の違いを表せる。
しかし射影を「宇宙の物理法則を決める創造行為」と読み替えるのは数学の使い方として過剰。
数学的には射影はただの選択規則
哲学的には“創造”や“決定”を示唆。物理学的には因果関係を説明していない
③ “クオリアの違い”と“宇宙の成立”を同じ機構で説明しようとしているから破綻する
この理論は、
あなたが赤を見る
宇宙が一つに決まる
という全く別レベルの現象を同じ射影構造で扱おうとしている。
これは例えるなら「文法ルールで1つの文を選ぶ操作と、言語そのものを創造する操作を同じ関数で説明する」ようなもので、スケールが違いすぎる。
正しいかどうかは別として、この先、人間の手に余る技術が発展しすぎて破滅と暴走のリスクが加速していく中で世界的な道徳や倫理観の見直しが急務である的なことを言ってる記事も見たことがある
過激な人からすれば一度その勢いで破滅してしまってそこから学ぶかまたイチからやり直せばいいとかいうようなことを言う人もあるがそれはちょっと他人事感のあるというか
実験によって得られる真理が全てであれば倫理は二の次であり実験のための搾取と人権の剥奪が急がれるわけだが
この手の話題において二手に分かれる道の行き着く先は人間の存在にどの程度の価値があるのかどうか、または上位存在の有無
仮にそれぞれの思想で統一された世界の流れを比較すると、人間都合で考えた場合、先ほど述べた極端な過激派の例を考えると価値が認められる思想で統一した世界である方が効用は高いように思える
しかし恐らく懸念としてあるのが統一された思想の批判の禁止や迫害、または科学を蔑ろにすることで生じる発展への障害などの前時代的な失敗を恐れるとかだろうか
またしかし仮に今の時代で思想が統一されたとして、権威を持ち始める圧倒的組織が現れるなどした場合であっても科学的なアプローチが蔑ろにされるということは最早現代ではあまり想像できるものじゃないので、人間都合的に利益と効用を考えた場合、暫定的に採用する思想であっても科学で修正はできるだろうしひとまず今の時代は価値アリで進めていった方がいいように思える
人間の心と考えるとトンデモ理論ですけど
量子論の問題の観測するまで不確定
でも宇宙は決定済みという矛盾があって
説明として可能性のある宇宙はすべてあるというパラレルワールド論があるわけですが
この理論は観測する意識場を仮定することで無限のパラレルワールドを回避しようとしているのでは?
そして意識場は観測する存在ですから人間どころか
生物ですらない結合する分子を選別する化学反応をもふくむのでは?
無限のパラレルワールドも説明しようとしていますね
物理学と神秘主義は正反対の方向を向いていますが、地球という場では西と東に分かれて進むと地球の反対側で出会うと考えられるように、量子物理学と神秘主義という全く異質なものがそれぞれの方向に進んで極まると出会うことができると考えるのも面白いとおもいます。皆さんのようにバカにするのではなく、このような試みがあってもいい、と考えることはできませんか。斬新な考え方は、最初たいていこのようにバカにされてきましたが、真実の片鱗でもあれば、それを見守る度量があってもいいと思います。私のような数学の素人には、数式の記号の使い方をもう少し詳しく説明してもらえればよかったとおもいます。なぜ、ここで微分するのか、とか。
脳はわけのわからない怖いものを、深く理解することを拒むようにできている。実習の前に失笑して取るに足らないものだと、先に自分を安全圏に避難させる。そこから戻ってくるかどうかはその意識が、わからないに対する公正な判断を持つ(自分がわからないのだと認める)勇気があるかどうか。
理解の前に失笑するのは、わかることとわからないことの間にも優劣を持ち込む脳のわからないときの正常な反応。そこから先へ踏み込めるのは、感情の仕事。反応で終わるか、その先の不安定を抱えられるかは器の問題。
たぶん。
ヒューマンの意識は物理としては、数式にできない実態です。
これらは、体と心の理論提唱する上では、おもしろい。
“観測”の語を選んだ量子力学の不幸よ
意識のある主体が認識すること、という理解が生活と地続きなら出てしまいますよね
独立系のうちは確率の波なだけで、
誰も見てない世界が確率分布として霧のように存在している訳ではない、と理解しています
意識で作られた宇宙というのも論理的には可能(シミュレーション世界)だが、「何十億年かの生物進化で小意識が発生する」という回り道は そういう宇宙では起きず、素粒子レベルの基礎単位が最初から小意識を持つような一目瞭然の意識宇宙になっているはず。我々の宇宙は意識宇宙にしては無機的すぎる。我々の宇宙が意識宇宙だとしたら、[唯物論的物質作用に基づく宇宙]を宇宙意識が必死に擬態していることになるw
もっともらしい記事に見えるが、そもそも量子場理論と古典場理論のラグランジアンとか共変性とか知らんの?
実際に観測できるか?実験できるか? は科学として最低ラインでしょ。
意識場を観測する方法も媒体も提示されてないのに「意識が宇宙」だ〜とか言われても、ただ “スピリチュアル混ぜたフィクション” にしか見えんわ。
アホが多くて草。
昔地動説信じてた頭の古いやつみたいだね
他の人もコメントしていましたがユングの集団的無意識を連想しました。
これからの風の時代の転換期になる論文だと思います。
個人的には意識とは感情を含めた2つの世界が在ると思います。
観測可能な次元を特定出来れば道が開かれると考えています。
2次元は影と言われてますが厳密に言えば光子の反射の現象なので厚みがあります。
1次元は時間と言われています。
本当の意味で認識出来る2次元は何なのか?
意識と感情が在る場所が2次元だと考えると面白いなと個人的に楽しんでいます。
見えない部分を見える様にする虚数がカギを握っているかもですね。
量子の揺らぎに虚数が使われていてシャボン玉の膜の様な構造で裏表が在る
数式を足して高次元を考えるのが主流ですが、人が認識出来るのは3次元までなので。
知覚して在るのに証明出来ない存在が2次元だと思うので今回の意識論は意義あると思います。
一般相対性理論と量子論の統合が今の最先端のトレンドですが、その他の理論とも統合する事で答えが見つかるかもですね。
アップデートすると
3D = 物質(=観測できる世界)
2D = 数字・感情(=虚数世界:情報・波動・関係性)
1D = 時間(=変化と流れ)
0D = 魂・意識(=根源・生成の源泉)
意識が数字と感情を認識する存在
こうやって仕分けてそれぞれの理論を統合すると面白そうです。
ATフィールド全開!
溶けて一つになりましょう。
人間は全て第一使徒リリスから派生した、体液をATフィールドで分離した存在だった。皆溶けて一つの海に帰り、完全体に戻ろうと示した、エヴァンゲリオンは正しかったのか!?
意思を持っているなら どこへ転がるかも 決まっているのでは?と思った何か難しく言ってるけど そもそも数学自体が 仮定であり 絶対でもない
全ては 認識した時に 存在するってだけではないの?頭 悪いから難しく言われてもよく解らないけど
認識しなかったら 有るかも知れないし無いかも知れないってことだと思う 論文の意図と噛み合ってなかったらすみません
物理学は門外漢なので哲学の立ち場からコメントするけど、
これは既存の理論を現象学的な語彙で言い換えただけだな
言い換えること自体が目的になっていてそれを通じて何を問いたいかが見えてこない
仏教の空の概念についても大きな誤解があるようだ
どっかで聞いた仏教哲学に似た話ではある。意識を仮定して数式に放り込むって、そりゃあ何かしらの結果は出るでしょうよ。今度は神を仮定して数式にぶち込んでみたら?そんなふうな話として受け止めますな。実りの少ない話ではないでしょうか。