なぜこんなに多くの貝があるのか?

この島がなぜ生まれたのか。
まず前提として、この場所は貝を集めるのに非常に向いた環境でした。
島はバヌアレブ島の北岸、川の河口近くにあり、周囲には浅い海や干潟が広がっていたと考えられます。
実際に見つかった貝も、遠くの深い海まで行かなくても採れる浅海性のものが中心でした。
つまりここは、古代の人びとにとって「貝をたくさん確保しやすい場所」だったのです。
では、その貝はこの場所でどのように扱われていたのでしょうか。
論文が有力な説明の一つとして示しているのは、ここが貝を処理するための場所だったという考えです。
というのも、この島で目立って見つかるのは大量の食用貝殻と土器の破片であり、ふつうの居住地ならもっと出てきてもよさそうな魚の骨や石器は少なくとも今回の調査ではほとんど確認されていません。
こうした偏りを見ると、ここは暮らしのすべてをまかなう村そのものではなく、貝を大量に開いて中身を取り出すことに特化した場所だった可能性が高くなります。
人びとはここで貝を採ってきて開き、身だけを土器などに入れて別の居住地へ運び、殻はその場に捨て続けたのかもしれません。
もちろん一日や一年で島ができたわけではありませんが、何世代にもわたって「貝を採る、ここで開く、中身を運ぶ、殻を捨てる」という行動が繰り返されれば、殻だけが同じ場所に大量にたまり続けることになります。
最初はただの捨て場だったとしても、長い時間の中では、それがしだいに厚みを持った堆積層へと変わっていきます。
また論文では、この場所を単なる加工場としてだけでなく、その上や周辺に高床式の生活空間があった可能性にも触れています。
西太平洋では、昔の人びとが浅い海や干潟の上に木の台を組み、その上で暮らしたり作業したりした例が知られています。
もしクラサワニでも似たようなことが起きていたなら、人びとは水際の上に生活や作業の場を持ち、その足元に貝殻が少しずつ落ちてたまっていったことになります。
そうなると、地面の上に人がいたというより、人の生活の下で新しい地面が育っていった、と考えた方が分かりやすいかもしれません。
そして、この貝殻の堆積が本当に「島」になっていくためには、もうひとつ重要な条件が必要です。
それが海面の変化です。
論文によると、この時代のフィジーでは現在より海面がやや高く、その後相対的にゆっくり低下していった可能性があります。
つまり長い年月をかけて、貝殻は積もり続けて島の「高さ」が増す一方で、海面が下がり続けたわけです。
研究者たちは、この2つの現象が重なった結果、貝殻で覆われた「貝塚の島」が誕生したと考えています。
もしこの解釈が正しければ、クラサワニの小島はパプアニューギニアのビスマーク諸島以東の熱帯太平洋で初めて記録された「貝塚島」となります。
貝塚が島そのものになった例は、これまでパプアニューギニアのラピタ遺跡(タレパケマライ、エタコサライ、エタパケンガロアサ)や、ソロモン諸島のラングアランガ潟などで報告されていますが、南太平洋の東側ではこれが初事例です。




























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