晩年のシェイクスピア像が変わる?ーーロンドンに残っていた可能性
今回の発見が持つもう一つの重要な意味は、シェイクスピアの晩年像の再評価です。
従来の理解では、彼はこの家を購入した後まもなくロンドンでの活動を終え、故郷ストラトフォード・アポン・エイヴォンに戻って静かな生活を送ったと考えられてきました。
ブラックフライアーズの家も、単なる投資物件だったとみなされることが多かったのです。
しかしマンロー教授は、この見方に疑問を投げかけています。
そもそも投資目的であればロンドンのどこでもよかったはずですが、この家は彼の職場であるブラックフライアーズ劇場のすぐ近くに位置していました。
この立地は、実際に使用することを前提に選ばれた可能性を示唆しています。
さらに、シェイクスピアは1613年に劇作家ジョン・フレッチャーと共に『二人の貴公子』を共作しており、翌1614年にもロンドンを訪れていたことが記録に残っています。
こうした事実を踏まえると、彼がこの家を拠点の一つとして利用していた可能性は十分に考えられます。
また、建物の規模が比較的大きく、後に分割されていたことから、賃貸として収入を得つつ、自らも滞在するという使い方も想定されます。
つまり、この家は単なる資産ではなく、「仕事と生活をつなぐ場所」だった可能性があるのです。
今回特定された位置は、現在のアイルランド・ヤード東端やバーゴン・ストリート付近に相当し、セント・アンドリューズ・ヒル5番地のプレートは「付近」ではなく、実際にその場所を指していると考えられるようになりました。
その後、この土地には印刷会社や建築事務所、カーペット卸売業者などが入居する建物が建てられ、20世紀以降もさまざまな用途で利用されてきました。
消えた家が語る「もう一つのシェイクスピア」
建物そのものはロンドン大火によって失われ、数百年にわたって所在不明のままでした。
しかし、今回の発見によって、その「空白」が具体的な場所として埋められました。
それは単に住所が分かったというだけではありません。
シェイクスピアが晩年に、どこで働き、どこで過ごし、どのように都市と関わっていたのかという、生身の生活の輪郭が浮かび上がってきたのです。
偉大な劇作家は、故郷に引きこもって余生を送っていたのではなく、ロンドンという都市の中で最後まで活動を続けていたのかもしれません。
失われたはずの家は、いまになって彼のもう一つの顔を静かに語り始めています。




















































