麻酔中の脳は物語の言葉に反応し、次の言葉の手がかりまで持っていた

4人の患者さんには、もっと複雑なものが流されました。
アメリカで人気のあるストーリーテリング番組「The Moth(ザ・モス)」の自伝的な物語などが、合計10〜20分にわたって再生されたのです。
別の患者さんには、宇宙について語る教育動画も使われました。
研究チームは、患者さんの海馬にある数百個のニューロンが、物語の単語ひとつひとつにどう反応するかを、こと細かに記録しました。
すると、3つの驚きの事実が浮かび上がってきます。
① 単語によって、海馬の反応がはっきりと変わっていた
「家」「行く」のような日常的によく使う言葉と、めったに登場しない珍しい言葉とでは、海馬のニューロンの反応パターンが明確に違っていたのです。
実際の数値を見ても、よく使われる単語ほど海馬の細胞が強く発火する傾向が、はっきりと出ていました。
これは音の高低に反応していたのではありません。
脳が単語ごとの意味的な違いを捉えていた、ということです。
② 似た意味の単語には、似たパターンで反応していた
「犬」と「猫」のように意味の近い単語に対しては、海馬のニューロンも近いパターンで反応していました。
一方で「犬」と「ペン」のように意味の遠い単語に対しては、反応のパターンも大きく違っていたのです。
これを裏付けるために研究者が使ったのが、AIの世界で発達した「単語の意味を数字の組で表す技術」でした。
意味の近さを数字の距離として測れる仕組みで、その「意味の地図」と海馬の反応がきれいに対応していたわけです。
単に音に反応していたのではなく、言葉の意味のレベルで処理が起きていたという強い証拠になりました。
③ 単語の文法的な役割まで読み取れた
それぞれの単語が名詞なのか、形容詞なのか、副詞なのか──ニューロンの反応パターンから、その単語が文の中で果たしている役割まで読み取ることができました。
麻酔下の脳は、単語の文法的な役割という、文の組み立ての一部までつかんでいたわけです。
そして、もっとも興味深いことがあります。
こうした「意味の処理」の精度は、過去の研究で目を覚ましていた患者さんを測定した結果と、ほぼ同じレベル、一部の指標ではむしろ高めの値も見られたほどだったのです。
「意識を失った脳は能力的に劣っているはずだ」というイメージを、今回の数字は静かに覆します。
論文の共著者ベンジャミン・ヘイデン博士はこう語ります。
「こうした処理は、私たちが目を覚まして注意を向けているときに起こるものだと考えられてきました。それが、無意識の状態で起きていたのです」。
眠った脳が「次に来る言葉」を予測する
もうひとつ、研究チームが見つけたことがあります。
現在処理している単語のニューロンの活動には、「次に来る言葉」に関する情報まで含まれていた、というのです。
これだけ聞くと、つい「脳が次の言葉を予測していた」と書きたくなります。
実際、一部のニュースではそう紹介されています。
けれども、論文の著者たちは「これは能動的な予測そのものとは限らず、文脈化で説明できる現象だ」と慎重に述べています。
「今日はとても天気が」と聞こえてくると、私たちの頭には自然と「いい」「悪い」「不安定だ」といった候補が、なんとなく浮かんできます。
これは「次の単語を当てよう」と意識して予測しているわけではありません。
これまで聞いてきた言葉が脳の中で文脈をつくり、その文脈が結果として次の方向をぼんやりと示している、という性質のものです。
麻酔下の海馬で起きていたのは、まさにこの「文脈ができている」状態でした。
AIが文章を書くときに「文脈に基づいて次の単語の確率を計算する」のと、確かに似た性質ではあります。
けれども「能動的に予測している」とまでは言えませんでした。
「今日はとても天気が」という言葉から脳が「いい」「悪い」「不安定だ」という言葉を思い浮かべることはあっても、それを超えて「今日の天気を踏まえた季節特有の気象現象」まで勝手に(能動的に)話を広げるような動きはないわけです。
一方で興味深いことに、実験を受けた患者さんは、誰ひとりとして、術中に流された音や物語のことを覚えていませんでした。
術後ケアユニットでの聞き取りでも、翌日の回復期での聞き取りでも、「あの音や物語が聞こえた気がする」「あんな話を聞いた覚えがある」と語った人はいなかったのです。
海馬では確かに言葉の処理が走っていた。
けれど、それが「思い出せる体験」「意識的な記憶」として成立することはなかったというのは非常に示唆に富みます。





















































