蒸気機関の子孫が量子の未来を支える

なぜこの小さな量子エンジンが、量子コンピュータの未来にとって重要なのか。
それを理解するには、いま量子コンピュータの開発が直面している、ある切実な問題を知る必要があります。
「ついに何百量子ビットを達成!」
そんなニュースを見たことがある方もいるかもしれません。
ただ、そこで数えられている量子ビットは、一つひとつはとてもミスが多く、1個だけではまともな計算ができません。
そこで実際には、たくさんの量子ビットに同じ計算をさせ、互いに答え合わせをして、まちがいをその場で直すという工夫が行われているのです。
つまり数百個規模の量子ビットを束ねると、ようやく安心して使える”1個分”ができあがります。
専門的には、この束ねる前の一つひとつを「物理量子ビット」、束ねてできた”安心して使える1個分”を「論理量子ビット」と呼びます。
だから、ニュースが誇る「何百ビット」も「安心して使える1個分」に数え直すと、まだほんのわずかです。
本当に役立つ量子コンピュータをつくるには、量子ビットを今よりも桁違いに増やさなければなりません。
メットネン教授は「フィンランドの量子技術戦略は、2035年までに論理量子ビット1000個を備えた量子コンピュータの実現を目指しています。これにはおそらく、数十万個もの物理量子ビットが必要です」と述べています。
そして、ここで大きな問題が牙をむきます。
「ケーブルの数が爆発する」という問題です。
現在の超伝導量子コンピュータでは、量子ビットの操作や読み出しに、多くの場合、極低温の世界と室温の制御装置とをつなぐケーブルが必要です。
量子ビットが少ないうちは問題になりません。
しかし、桁違いに増やそうとした瞬間、話は一変します。
通常のコンピュータのチップなら耐えられる程度のノイズでも、量子ビットにとっては致命傷になりかねません。
数百万本ものケーブルは、室温の熱や雑音を極低温の世界に持ち込み、量子ビットの精度を保つうえで大きな課題になってしまうのです。
大きくしたいのに、大きくするほど、自分の首を絞めてしまう。
これが、量子コンピュータの「配線地獄」です。
ですがもし今回の量子エンジンが育ち、外からの合図なしに自分で動く”自律型”にまで進化したら——この膨大なケーブルを大きく減らせる可能性が見えてきます。
チップの上にエンジンが組み込まれ、室温とのあいだを行き来していた仕事の一部を、その場で片付けられるようになるかもしれないのです。
もちろん、今回の成果はその出発点となる原理の実証です。
今回の装置は外からの信号で動いており、配線を減らせることまで確かめたわけではありません。
それでも、この第一歩があってこそ、次の道が見えてきます。
熱を力に変える「熱機関」は、250年以上前、蒸気機関として産業革命の扉を開けました。
石炭を燃やし、機械を回し、世界のかたちを変えたあの装置です。
そして今、その遠い子孫が——燃料もピストンもなく、絶対零度近くでひっそりと動く極微のエンジンが——次の革命、すなわち量子コンピュータという新しい時代の”足元”を、静かに整えようとしているのかもしれません。
熱を力に変えるという、人類がもっとも古くから親しんできた営み。
それが、めぐりめぐって、もっとも新しい未来の入り口に立っているのです。



























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