高速ビームでも「通過ルートが不確定」だと壁を傷つけずに通過できる
高速ビームでも「通過ルートが不確定」だと壁を傷つけずに通過できる / Credit:Canva
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高速ビームでも「通過ルートが不確定」だと壁を傷つけずに通過できる

2025.01.07 17:00:51 Tuesday

どこを貫通したかわからないので結果的に壁が壊れない……そんな話があるようです。

ドイツ航空宇宙センター(DLR)で行われた最新の量子力学研究によって、高エネルギーの原子ビームが1原子層という極限に薄い膜を傷つけることなく透過できることが明らかになりました。

壁役となったのは、炭素原子がハチの巣状に並ぶ「グラフェン」という素材です。

新たな研究ではこの「すぐに壊れてしまいそう」と思われてきたこの超薄膜が、高速ビームの衝撃を100時間にわたり受けても破壊されないという、不思議な結果が実証されました。

またその後の分析により、この現象の裏側には量子力学特有のどこを通ったかわからないという性質と、グラフェンのもつ強靱な炭素結合が組み合わさった複合的なメカニズムが潜んでいることが分かりました。

研究チームは、この現象が超高感度の重力波検出機などの先端研究で活躍する可能性があると述べています。

しかし「グラフェンの壁を量子力学的な性質を獲得した原子がスルリと通り抜けてしまう」というSFめいた事実は、いったいどうして起きてしまうのでしょうか?

研究内容の詳細はプレプリントサーバーである「arXiv」にて公開されています。

Diffraction of atomic matter waves through a 2D crystal https://doi.org/10.48550/arXiv.2412.02360

ビームに100時間貫通され続けても無傷な壁

多くの人は、「高速ビームを薄い膜に当てたら、すぐに穴だらけになるのでは?」と考えるのではないでしょうか。

私たちがイメージする“高速ビーム”と言えば、工場のレーザー切断機や粒子加速器など、強力なエネルギーで何かを削ったり壊したりする装置を思い浮かべるものです。

あるいは、SF作品に登場するビーム兵器を思い描くかもしれません。

そのうえ、膜がわずか1原子の厚さしかなければ、「一瞬で壊れてしまうだろう」と想像するのは自然なことでしょう。

実際、古典的な考え方では「大きな運動エネルギーを持つ物体が薄い壁に衝突すれば、壁を粉々にして突き抜ける」と考えられています。

ボールが窓ガラスを割るのと同じイメージで、エネルギーが大きいほど“より細かく砕いて突破する”というわけです。

ところが今回の実験では、そんな「壊れそうな超薄膜」が壊れないまま高速ビームを透過させる現象が確認されました。

しかも、単に無傷というだけではなく、“回折パターン”という量子力学ならではの足跡までも観測されたのです。

「なぜこんな不可思議が起こるのか?」――その答えは、大きく分けて2つの異なる現象にあるといいます。

1つ目は量子力学的な視点です。

「原子がどこを通ったか確定されなければ、壁は壊れず、波としての性質を失わずに干渉を起こす」という考え方です。

もしグラフェンの壁に大穴が空くような破壊が起きれば、飛んできた原子の通路が確定してしまい、量子力学的な干渉は起こらなくなります。

つまり、グラフェンを“こっそり”通過することで、経路が不確定なまま回折が起こせるわけです。

研究者たちはこの現象を「高いエネルギーでドアが開く部屋に素早く入り込み、どのドアを通ったのか分からない状態で抜ける」とたとえています。

原子が高速で壁に衝突したときだけドアが開き、結果としてスムーズに通過できるというわけです。

実際、原子の速度を落とした場合には、衝突部位がはっきりしてしまい、壁の向こうに量子力学的な回折パターンが観察されない、あるいはそもそも通過できないことが確認されています。

2つ目の視点はやや古典寄りの発想で、グラフェンが持つ高い強度と、衝突が極めて短時間で済むことにより、壁を壊すほどのエネルギーを伝える“余裕”が生じないという説明がなされています。

1原子層とはいえ炭素結合は驚くほど頑丈で、“鋼鉄より強いスパゲッティ”のように高い張力を持つのです。

そうやって、普通なら「壊されて当然」と思われがちな超薄膜でも、量子の世界では「どこを通ったか分からない」高エネルギーの原子をスルッと通してしまう——そのことが今回の現象をいっそう興味深いものにしています。

実験のイメージ図
実験のイメージ図 / Credit:Nick A. von Jeinsen et al . Phys. Rev. Lett (2023)

調査に当たってはまず、水素(H)やヘリウム(He)の原子を数百~1600 eV(電子ボルト)という比較的高いエネルギーまで加速できる装置を用意しました。イメージとしては、高電圧をかけて電子(あるいは原子)を飛ばすようなものです。これにより、原子は非常に高い速度を獲得します。

(※なお、実際には粒子をイオン化したあと、途中で電荷を中和して「電荷0」の状態にする調整も行います。)

次に用意されたのが、炭素原子がハニカム(蜂の巣)状に並ぶ「グラフェン」です。

先に述べたようにグラフェンの炭素結合は予想以上に強固で、その強度は鋼鉄の200倍にも達します。

三次元方向への剥がれにはやや弱いものの、シートとしては抜群の強度を誇るのです。

実験では、このグラフェンを薄い枠組みで支え、中央部分に高速ビームを照射できるようにしました。

そして、その背後にはスクリーンを設置し、「原子がどのような状態で通過しているのか」(粒子なのか、波なのか)が確かめられました。

スクリーンに映し出されたしま模様
スクリーンに映し出されたしま模様 / Credit:Nick A. von Jeinsen et al . Phys. Rev. Lett (2023)

結果として観測されたのは、ただ一点に集まる粒子のスポットではなく、なんとリング状に広がる“回折パターン”でした。

回折とは、もともと波が狭い隙間や障害物を通過するときに起こる現象で、水面の波が堤防の隙間を抜けたあとに円形状に広がるイメージに近いものです。

グラフェンの結晶構造と原子の干渉により、ランダムな向き(多結晶の場合)ごとに異なる回折角度が生じます。

その結果、スクリーンには「デバイ・シェラーリング」と呼ばれる同心円状のリングが複数映し出されるのです。

これは有名な二重スリット実験で見られる干渉パターンと似た性質を示します。

このリングが意味するのは、「グラフェンを通り抜けた原子が、波として振る舞っている」ということ。

もし単なる飛び道具のように直進するだけなら、スクリーン上にはビーム形状の点や円が1つ映るだけで終わるはずです。

複数のリングが現れたという事実は、原子同士が干渉し合い、波動的に広がっているという確かな証拠といえます。

さらに、研究チームは原子を**数百~1600 eV(keVオーダー)**という、かなり高いエネルギー領域まで加速しました。

イメージとしては、小石を投げるのではなく、大砲で弾丸を撃ち出すような勢いです。エネルギーが高いほど原子の「運動量」も大きくなり、それに伴って回折パターン――つまりスクリーンに映るリングの大きさ(半径)も変化していきます。

ある程度エネルギーが大きくなると、リングが1本では終わらず、2本、3本…と次々に増えていく現象が見られました。

これはグラフェンと原子が非常に大きな力(運動量)を交換していることを示しています。

なかには最大8次の回折ベクトルが観測されたという報告もあり、従来の原子回折実験と比べても“飛び抜けて強烈”な運動量変化が起きているわけです。

例えるなら、花火が一重、二重、三重と連続して弾けるように、エネルギーが上がるにつれてリングの層が増えていくイメージでしょう。

そこには原子が「まるで波のように」広がりながら、グラフェンとの間で大きな衝撃(運動量)をやりとりしている様子が映し出されているのです。

もうひとつ注目すべきポイントは、普通なら1原子層のグラフェンが耐えられないほど高速なビームを100時間も照射し続けたにもかかわらず、グラフェンにはまったく損傷が見られなかったことです。

もちろん、さらに高いエネルギーや特別な照射条件になれば、破壊が起きる可能性は否定できません。しかし、少なくとも本研究で使われたエネルギーレベル(数百~1600 eV)では、グラフェンが想像を超える耐久性を示したというわけです。

しかし、なぜこのような奇妙な結果になったのでしょうか?

次は、いよいよ「なぜ壊れないのか?」――量子力学と古典物理の両面から、その仕組みを見ていきたいと思います。

次ページ量子的不確定性とグラフェンの耐久性

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