狩猟採集民は山岳湖を長く使える食料源に変えていた
最も詳しく調べられた漁具には46本の杭が残っていました。
40本が直径約3.5mの捕獲室を形作り、6本は魚をそこへ導く柵の一部だったと考えられます。
多くの杭は湖底に垂直に立てられ、11本は30~45度に傾けて構造を支えていました。
杭には切断や割断、結び付けた可能性のある痕跡もあり、人間が加工して組み上げた設備だと分かります。
一方、氷期の山岳部には魚が生き残れず、氷が消えた後も下流の滝や急流が遡上を妨げていました。
さらに周辺の高地では、石器時代の魚骨が見つかった9遺跡のうち、種類を詳しく調べた7遺跡からブラウントラウトだけが確認されています。
鳥が魚卵を運んだという説では、この魚種の偏りや、紀元前5000年頃から山岳漁業の証拠が広がることを説明しにくいため、研究者たちは人間が魚を導入したと結論づけました。
ただし、魚を運んだ容器や運搬場面が見つかったわけではありません。
研究者らは、下流側から同じ水系に沿って段階的に魚を移し、動物の皮袋などで生きたまま運んだ可能性を挙げています。
ちなみに、放した魚が十分な数に増えるまでには、数十年かかった可能性があります。
それでも魚を運んだのは、トナカイやヘラジカを狙う山での狩猟が不確実だったため、長期滞在を支える安定した食料源を確保する目的があったと考えられます。
これは家畜化や養殖ではありませんが、魚のいない湖へ有用な魚を運び、自然繁殖させて繰り返し利用する、計画的な資源管理です。
約7000年前の狩猟採集民は、自然の食料を探すだけでなく、未来の食料が育つ環境そのものを作っていたのです。





























