共同統治者から王の母へ? 姿を変えたメルネイトの立場と続く論争

実は、彼女の地位の高さを物語る手がかりは、ほかにも見つかっています。
メルネイトは、アビドスという地に、王家の大きな墓と、葬儀のための囲い地を持っていました。
また碑文には、彼女の名前が、国の行政の役割や、財務を担う役所などと結びついて記されています。
さらに後の時代の印影(印を押した跡)には、メルネイトを「王の母」と呼ぶ称号があり、彼女を息子のデンと結びつけています。
息子がまだ幼くて一人で国を治められなかったあいだ、彼女が権力を持っていたことをうかがわせる証拠もあります。
研究チームは、メルネイトの政治的な立場は時とともに変わっていったと考えています。
初めはジェルと並んで国を治める「共同統治者」の立場にあり、のちに息子に代わって国を治める「摂政」、そして王の母になったとみられています。
さらに研究チームは、デンが亡くなった後にも、彼女が一時期ふたたび国を治めた可能性があると指摘しています。
この見方が正しければ、メルネイトは王家の中での立場を生かし、状況に応じて役割を変えながら、いくつもの形で権力を手にしていたことになります。
ただし、すべてのエジプト学者がこの新しい読み方を受け入れているわけではありません。
ベルリン・フンボルト大学のエヴァ=マリア・エンゲル氏は、見やすくした写真を調べたうえで、セレクに書かれているのはジェルの名前だけだと反論しています。
とはいえ、この反論によって、メルネイトが高い政治的地位にあったことを示すほかの証拠まで消えるわけではありません。
論争はまだ続いていますが、今回の研究は、メルネイトの王としての地位に関わる数少ない記録の1つに、新しい読み方を示しました。
アビドスにある彼女の墓で再び始まった調査から、彼女がどのようにエジプトを治めたのかを語る証拠がさらに出てくるかもしれません。
「古代の王といえば男性」という思い込みは、泥の栓に残ったわずかな記号によって、静かに揺さぶられているのです。
実物が失われた遺物でも、残された1枚の写真を丁寧に読み直せば、はるか昔の歴史の見え方が変わることがあります。




















