・フランスにあるラスコーの壁画を分析した結果、古代人はおよそ1万7千年前には天文学の知識をもっていた可能性が浮上
・壁画にある動物たちの配置は、「黄道十二星座」の位置と対応しており、それをもとに天体現象を記録していた
・洞窟は、古代人にとって神性な場所と考えられており、絵を描くことは狩猟の豊作を願う儀式的行動だった
およそ1万7千年前に描かれた、教科書でも有名なラスコー洞窟の壁画。
エディンバラ大学とケント大学による調査で、ラスコーの壁画に描かれている動物は、狩人たちの勇敢な姿を称えるだけでなく、夜空に浮かぶ十二星座を表す配置を示しているという説が浮上しました。論文は“Athens Journal of History”に掲載されています。
https://arxiv.org/abs/1806.00046
天文学の始まりは、人々が農作業を効率よく行うための「暦」の製作にありました。定説では、世界で初めて暦を実践的に取り入れたのはメソポタミア文明と言われており、紀元前3000年頃のことです。しかし今回の研究は、およそ1万7千年前にはすでに天文学が使われていたことを示しています。
ラスコー洞窟内の壁には、馬やバイソンなど、当時ラスコー付近で見られた動物がいたるところに描かれており、その数なんと600以上にのぼります。元々ラスコー壁画は、1940年代に地元の少年たちによって発見されましたが、それ以来詳しい作成時期や経緯は分かっておらず、長い間研究者たちを悩ませてきました。
今回研究チームが詳しく分析してみたところ、壁画の動物たちは無作為に配置されたのではなく、「黄道十二星座(ゾディアック)」との対応して配置されていることがわかりました。「黄道十二星座」が導入されたのは、紀元前3000年頃と言われていますが、この発見が真実であれば、十二星座の起源が大幅に早まることとなります。しかしラスコーで描かれた動物たちは、現在知られている十二支とはいくつかシンボルが違っているようです。
特筆すべきなのが、馬やバイソン以外に、雄牛やライオン、さそりといった本来ラスコー地域ではあまり見られないような動物たちも洞窟内に描かれていることです。この事実により、古代人が天文上の記録として様々な種類の動物を星座の形として用いていた可能性が示されています。
エディンバラ大学のマーティン・スウェットマン氏は「氷河期後期には人々が天文学の知識を発達させ、それを用いて地球に起こる重大な出来事を記録していた」と説明しています。その証拠に、ラスコー壁画には、およそ1万7千年前に地球で見られたおうし座流星群の日付を記録した印を示唆するものが見られるのです。
スウェットマン氏いわく、例えば傷を負ったバイソンの絵は、夏至の夜空に現れる山羊座を示しており、鳥は春分点に現れるてんびん座を示しています。各分点は地球の歳差運動によりずれていくため、1万7千年前にはてんびん座の上に春分点があったと考えられています。
もし天文学を使っていないとしたら、壁画に描かれている動物たちの周囲にある幾何学的な形や点、線などはあまりにも奇妙で、草木などの自然背景を描いたものとは到底思えません。つまり、それらの点や線は、単なる牧歌的な風景を描いているものではなく、天文学に関連したものであると研究者は考えています。
また、洞窟の中で絵を描くには、人は体を曲げたり、かがみ込んで仰向けになったりしなければ不可能です。専門家たちは、なぜ当時の人々がそれほど苦労してまで、狭い洞窟の内部に絵を描いていたのか不思議に思っていました。一説では、洞窟の内部は、神性の宿る超自然的な場所と考えられており、壁に絵を描くことは、狩りをする前に神の恵みを得て、狩猟の豊作を祈るための儀式的な行動であったと言います。
さらに、グリーンランドにある氷河の調査から、気候変動は紀元前の1万5300年頃にはじまっていたことが分かっていますが、これは、紀元前1万5150年前ころから数百年以内に描かれたラスコー壁画の記録と見事に対応しています。1万7千年以上も前に存在していた古代の人々は、芸術性だけでなく科学的な知識までも備えていたのかもしれません。
https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/16869
via: sciencealert / translated & text by くらのすけ