小児医療の価値観を変革した
マーティンの活動により、アメリカの小児医療界に「保育器」の存在が大きく知れ渡るようになりました。そしてついに、マーティンが願っていたように、病院は未熟児を延命させるようになったのです。
そして1940年代初め、マーティンは保育器の展示会活動を終了しました。
こうした大きな功績にもかかわらず、当時の医師たちは彼を「単なるショーマンだ」として、プロの医療従事者とみなすことはありませんでした。
こうしてマーティンは表舞台から姿を消し、その後、1950年代に80歳で亡くなっています。そのとき、彼の懐にはわずかの財産も残されていなかったそうです。
結局、マーティンは展示を行なった十数年の間に、6500を越える未熟児たちを病院から預かり入れていました。死に際し、手元に遺産は残らなかったものの、彼は6500以上の尊い命を後に残し、この世を去っていったのです。