1953年7月29日の朝。ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン誌の記者ジョン・オニール氏は、自前の望遠鏡を月に向け、観測を始めました。
ターゲットは「危難の海(Mare Crisium)」と呼ばれる、北東半球に位置する巨大な盆地(直径500km)です。
しばらく観測していたところ、オニール氏は思わぬ物体に遭遇します。
なんと、月面に大きな橋が確認されたのです。
オニールの調べにより、月面橋は自然由来のもので、全長は推定19kmに及ぶことが分かりました。地球上で最も長い自然橋は100m前後なので、月面橋の巨大さがうかがえます。
このニュースはたちまち世間に広まり、発見者の名を冠して「オニール橋」と呼ばれるようになりました。
しかし、話はこれにて一件落着…とはならなかったのです。
「宇宙人のしわざ?」止まぬ風評被害
オニール橋の発見はすぐに他の天文学者たちに伝わり、アマチュアからプロの天文家まで、こぞって観測に乗り出しました。
中でも一番著名だったのが、当時、英国天文学協会の所長を務めていたヒュー・パーシー・ウィルキンス氏です。精密な観測の結果、ウィルキンス氏も確かにオニール橋の存在を確認したといいます。
「私は、アーチの下から太陽光が漏れ出ているのをはっきり確認しました。月面橋は人工物のような完成度を誇り、まるでエンジニアが建造したようでした」
ところが、氏の発言は「橋は人工物である」という間違った形で世間に広まってしまいました。高名な天文学機関の所長がそのような発言をしたという話に、多くの人が眉をひそめたのです。
こうしてウィルキンス氏の名声は地に落ちるほどメディアによって誇張され、ついに氏が所長の座を辞するという騒動にまで発展しました。
これを面白がったのが、当時のUFOマニアや陰謀論者たちです。次第にオニール橋は「宇宙人が造った」という話にすり替わり、完全にオカルト化してしまいました。
その後、科学の発達に伴い、いくつもの月面探査機が同地に送られましたが、オニール橋らしきものは、ついに発見されませんでした。
結局、オニール橋は光や影、月の角度により現れる錯覚だと言われ始めます。