死海文書と失われた謎
死海文書は、1947年から1956年の間にクムランにある11箇所の洞窟で見つけられました。約1000にわたる小さな断片からなる書籍群は、ほぼ古代ヘブライ語で書かれており、解読は困難を極めました。12洞窟は2017年2月に発見されましたが、死海文書が入っていた瓶、文書を包んでいた紙の破片、革の作品の切れ端のみでした。
最初の死海文書は、ベドウィン族の羊飼いがクムラン近くの洞窟で何気なく見つけたものです。その後、更に多くの文書が見つけられ、その幾つかは闇取引で民間のバイヤーに売り渡されました。この問題により、イスラエル考古学庁と世界遺産事業は難所であるその骸骨洞窟で古代ユダヤ人の洞窟を2016年に発掘することになりました。
イスラエル考古学庁のイスラエル・ハッソンは、残りの死海文書を探すことが急務だと説明しています。
「今まで何年もの間、古代ユダヤ砂漠の洞窟にある重要な世界遺産や文化財は、私欲のために不正に強奪・発掘され続けてきました。私達が進めている国家計画の目標は、洞窟に残存する死海文書を全て発掘し、最終的には、それらの死海文書を国により保護・保存することです」
死海文書には「日本から救世主が現れる」という預言が載っていると噂されています。日ユ同祖論などとつながってくると非常に面白いわけですが、まだ見つかっていない死海文書に期待しましょう。