- トルコ中央の古墳近くで、古代プリュギアを治めた「ミダス王」の死を示す石碑が発見される
- ミダス王の死に関しては確かな史実がなく、これまで謎とされていた
- 石碑には、ミダス率いるプリュギアを打ち破ったと思われる「失われた王国」の存在も記されていた
古代アナトリア(現トルコ)の王国・プリュギアを治めた「ミダス王」という人物を知っていますか?
ミダス王はギリシア神話や童話にもよく登場しており、『王様の耳はロバの耳』で、耳がロバになってしまったのもこのミダス王です。
最も有名な逸話は、触れる物をすべて黄金に変える「ミダス・タッチ」でしょう。
その一方で、ミダス王の最後に関しては確かな史実が残されていません。
ところが今回、彼の死の真相が記載された石碑が、コンヤ平原(トルコ中央・アナトリア)にある古墳「Türkmen-Karahöyük」で発見されました。
しかも、石碑には、ミダス王を倒したと思われる「失われた王国」の存在も示唆されていたのです。
シカゴ大学による研究の報告は、2月20日付けで「uchicago news」に掲載されました。
http://news.uchicago.edu/story/oriental-institute-archaeologists-help-discover-lost-kingdom-ancient-turkey
ミダス王を倒した「失われた王国」の正体とは?
石碑が発見されたのは、昨年のことです。
地元に住む農家の男性から、「古墳近くの運河で、意味不明の文字が彫られた石碑を見つけた」との報告がありました。
それを受け、シカゴ大学の考古学研究チームが現場に行ってみると、石碑は半分ほど水に浸かった状態にありました。
石碑を引き上げ後、詳しく分析してみると、記載された文字は古代アナトリア地方で使われた「ルウィ語」と特定されました。
ルウィ語はインド・ヨーロッパ語族の一つで、紀元前16世紀〜紀元前7世紀までの資料が見つかっています。主に「楔形文字」とアナトリアの「象形文字」を組み合わせて使われていました。
解読の結果、石碑には「戦争の勝利を讃える功績」が記載されていると判明しました。しかも、単なる小国への勝利ではなく、伝説的なミダス王が率いたプリュギアを倒した旨の内容が書かれていたのです。
プリュギアには「ミダス」という同名の王が複数人いましたが、石碑の年代が紀元前8世紀後半と特定されていることから、ここで言及されているのは、物を黄金に変える「ミダス王」で間違いないとされています。
そして最も重要な発見は、石碑に、後期ヒッタイト王国を治めた「ハルタプ王」による勝利のメッセージが確認されたことです。
ヒッタイト王国は前18世紀から前13世紀頃までアナトリア半島で栄華を誇りましたが、外部の敵(海の民ともいわれる)に襲撃された後は衰退し、小国に分かれ、その最後は判然としていません。
ハルタプ王は、その混乱に満ちた時代のヒッタイトの王だと言われています。
石碑の解読によると、石碑には「嵐の神々が、かの王(ミダスを指す)を偉大なハルタプに引き渡した」と記載されていました。
実は、ハルタプ王は以前から「ミダス王を破った人物ではないか」と言われており、今回の発見はそれを裏付ける証拠となりそうです。
また、ハルタプ王および彼が統治した当時のヒッタイト王国に関する史実がほぼ残っていない点からも、石碑の発見は貴重な情報源となるでしょう。
研究チームのジェームズ・オズボーン氏は「この古墳こそ、ハルタプ王が治めた王国の中心地(首都)であった可能性も高く、古墳内には、その失われた宮殿や記念碑が隠されているかもしれません」と話しています。
研究チームは、年内に、同地で再び発掘調査を行う予定とのことです。