浅間山 天仁大規模噴火
研究者たちがもっとも可能性が高いと考えたのが、1108年に起きたという日本の浅間山の大噴火です。
浅間山は1783年、江戸時代にも大噴火を起こしていて、こちらは多くの記録が残っています。上の画像も、江戸時代に起きた浅間山噴火を描いたものです。
この噴火は1400人以上の死者を出し、爆破の衝撃は江戸の街まで届いて障子戸を震わせ、火山灰の降灰は千葉県の銚子まで確認されたと言われています。
しかし、1108年の天仁大規模噴火は記録は少ないものの、この江戸時代の大噴火よりも規模が大きかったと推定されています。
この様子は、当時の政治家、藤原宗忠(ふじわら の むねただ)日記『中右記』の中に残されています。
「天仁元年(1108年)の九月五日、猛烈な噴火が起きて山稜が焼かれ、その噴煙は天にまで達し、砂礫は国に満ち、火山灰は地に積もって田畑は全滅した。一国の災害でこれほどのものは未だかつてなく、稀にみる怪奇現象として記しておく」
グリーンランドの氷床に残る火山噴火の痕跡や、ヨーロッパ各地に残る飢饉や、天体観測の奇妙な記録は、どうやら日本の浅間山噴火が原因の可能性がかなり濃厚なのです。
明確な証拠があるわけではありませんが、研究者たちは調査したすべての証拠を合わせると、1108年から1110年の間に、人類に「忘れ去られた」大規模な火山噴火の厄災があったことが示唆されており、我々は今、それを再発見しているのだと述べています。
この研究はスイス、ジュネーブ大学の研究者Sébastien Guillet氏を筆頭とする研究チームより発表され、論文はネイチャー・リサーチ社によって刊行されるオープンアクセスの学術雑誌「Scientific Reports」に4月21日付で掲載されています。