古代ローマの優れた建築技術の象徴「長距離水道橋」
紀元前1世紀後半から10世紀以上にわたって続いた、偉大なローマ帝国は現代から見ても非常に優れた建築技術を持っていました。
その技術力を象徴するのがローマの三大インフラ事業です。
古代ローマ人は、劇場や神殿などの建築物以外にも、上下水道と舗装道路といったインフラも整備していました。
舗装路は全長8万以上(地球2周分)もあったといわれ、都市には飲水や浴場に水を運ぶ上水道と排水路があったのです。
そして、離れた水源から都市に清潔な水を運んでいたのが、非常に巨大な長距離水道橋でした。
ローマ帝国のほとんどの都市には、水道橋から新鮮な水道水が十分に供給されていて、中には現在よりも大量の水が供給されていた場所もあったといいます。
この水道橋は、2000年以上の時を経た現代でも、南フランスのポン・デュ・ガールに代表されるように一部の遺構が残っています。
ローマの長距離水道橋は、現時点でも2000以上が知られていて、今後さらに発見される可能性があります。
長距離水道橋は現代の技術をもってしても建設することはかなり困難だろうと考えられています。
当時のローマ人はすでにクレーンなどの建築機器技術も持っていて、大規模な公共工事を実現させていました。
紀元324年、時のローマ皇帝コンスタンティヌスは、陸路と海路の交差するコンスタンティノープル(現トルコのイスタンブール)をローマ帝国の新しい首都に定めました。
しかし、コンスタンティノープルは地政学的には重要な位置にありましたが、淡水の供給に問題を抱える土地でした。
そこでローマ帝国は、都市から西60kmのち天にある泉から水を供給する新たな水道橋を建設しました。
その後も都市は発展を続け、5世紀にはさらに都市から直線距離で120km離れた泉まで水道橋は延長され、最終的に水道橋の総距離は426kmにもなったのです。
この水道橋は石とコンクリートで作られた巨大な水路で、途中に90の大きな橋、そして合計5kmに及ぶ複数のトンネルで構成されていました。
今回の研究は、このローマ時代後期のもっとも壮大な水道橋「ヴァレンス水道橋」の調査に焦点を当てています。