どうやって水路をきれいに保っていたのか?
マインツ大学の地質考古学者ギュル・シュルメリヒンディ(Gül Sürmelihindi)博士の研究チームは、この水道橋の流水中に形成された石灰岩(炭酸塩堆積物)を調査しました。
これはいわゆる水垢と呼ばれるようなもので、水道を使っていればどんどん堆積していきます。
しかし、調査の結果、水路内には薄い炭酸塩の堆積物しかありませんでした。
それはチームが見たところ、せいぜいが約27年程度の使用に相当する堆積量だったのです。
しかし、都市の年代記を見れば水道橋は少なくとも建設された4世紀から12世紀まで、700年以上機能していたことがわかっています。
つまり、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)時代には、水道橋が機能しなくなる直前まで、水道橋全体がメンテンナンスされ、堆積物の除去がおこなれていた事を意味しています。
炭酸塩の堆積物は、どんどん溜まっていき最終的に水路を塞いでしまうので、たしかにときどき除去作業を行う必要があります。
しかし、総距離426kmもある水路を掃除したり修繕したりしていれば、都市住民への水の供給は最低でも数週間から数カ月はストップしてしまいます。
では、ローマ人はどうやってこの問題を解決して、水道橋の掃除をしていたのでしょうか?
水道橋は水源から50kmに及ぶ部分では、2階建てで上下に水路が走る二重構造なのが確認されています。
今回の研究は、この二重構造が水道橋の清掃やメンテナンス作業のために設置されていた可能性が非常に高いと考えています。
確認できる一部の水道橋では、4世紀に作られた水道橋を5世紀に立て直していることが確認されています。
そして、その際、もとの4世紀の水路を予備として残し、新しい水路を下に増設していました。
これは地震などの損傷に備えて残していたという考え方もされています。
しかし、今回の調査ではこの二重構造を利用して、ローマ人は水路の稼働を停止させずに片方のメンテナンスや清掃を行っていた可能性があるというのです。
「これは非常にコストの掛かるやり方ですが、実用的な解決策だったでしょう」
シュルメリヒンディ博士はそのように述べています。
このような水管理システムは、ローマ帝国のもっとも画期的な技術的成果です。
ただ、残念なことに、水道橋のほとんどは崩壊してしまっており、残っている遺構の中にも、トレジャーハンターに破壊されてしまったものなどがあります。
そのため、この水管理システムの正確な全貌を知ることはもはや不可能です。
しかし、その一端を見るだけでも、古代ローマ人の文明の高さ、豊かな時代の景色が垣間見えます。