ゲノム編集のためにクリアすべき難点
哺乳類は胎児の育て方によって、ヒトを含む有胎盤類、カモノハシとハリモグラの単孔類、カンガルーやコアラなどの有袋類の3つに大別されます。
有胎盤類は、胎盤を介して栄養分を与え子宮内で胎児を育てます。
単孔類は、卵で子どもを生む哺乳類です。
一方の有袋類は、発達した胎盤がないため、子宮内で胎児を育てることができません。
そのため、未熟な状態で子どもを生み、子どもは自力で母の育児嚢に入り込んで、そこで育てられます。
その有袋類の中で最初に全ゲノムが解読されたのが、ハイイロジネズミオポッサム(以下、オポッサム)です。
オポッサムは系統的には有袋類の祖先的なグループであると考えられ研究されてきました。
本種は体長が15センチほどで、マウスやラットに似た飼育が可能であり、有袋類では希少なモデル動物となっています。
オポッサムは14日間という短い妊娠期間で未熟児を出産。カンガルーのような袋がないため、子どもたちは乳房にしがみついて離乳期までを過ごします。
しかし先に指摘したように、オポッサムを含む有袋類においては、遺伝子改変のために必要な技術が確立されていません。
そこでチームは、オポッサムを遺伝子改変するための技術開発を始めました。
最初の問題は、どうやってオポッサムの受精卵を計画的に採取するか、でした。
というのも、哺乳動物の遺伝子改変は、ゲノム編集のための溶液を受精卵に注入して行うためです。
発情周期が長く、縄張り意識も強いオポッサムから、定期的に受精卵を得るのは困難でした。
そこでチームは、マウスにも使われる「性腺刺激ホルモン」をメスに投与し、卵巣に対し排卵を促進させることで難点をクリアしました。
次の問題は、いかに受精卵を代理母に移植するか、です。
マウスやラットでは普通、偽妊娠状態にあるメスの卵管や子宮に受精卵を移します。
それを踏まえ、オポッサムでも偽妊娠状態にあるメスに移植したところ、見事に受精卵の発生に成功しました。
この手法は、ワラビーやフクロネコなど、他の有袋類でも試されたことがありますが、いずれも失敗に終わっています。
最後の問題は、どうやって受精卵に溶液を注入するか、でした。
ラットやマウスでは一般に、顕微鏡下で極細のガラス管を受精卵に刺す「マイクロインジェクション法」が使用されます。
ところが、オポッサムの受精卵には、「ムコイド層」という厚い壁と「シェルコート」という硬い殻があるため、ガラス管が貫通しません。
そこでチームは、圧電素子(ピエゾ)を組み合わせたパルスを使うことで、受精卵に穴を開ける「ピエゾマイクロインジェクション法」を採用しました。
その結果、受精卵へのダメージを減らしつつ、スムーズに針を刺すことに成功しています。
すべての難関をクリアしたので、いよいよ遺伝子編集です。