「無知の知」を忘れた現代人
かつて古代ギリシアの哲学者ソクラテスは「無知の知」という考え方の重要性を説きました。
これは「自分がいかに何も知らないかについて自覚しなさい」という意味です。
なにかを「知らない」人よりも、自分が「知らないことをわかっていない」人の方が、はるかに愚か者だとソクラテスは考えていたのです。
このため、ソクラテスは人々に自分がいかに無知であるか自覚させるために、通行人を質問攻めにして、答えられないと「ほら、お前は無知だ」とイチャモンをつけて回りました。
そのせいで、彼は迷惑者として処刑されてしまいますが、現代のネット上でソクラテスがこんな活動をしても、なかなかうまくはいかないかもしれません。
なぜなら、現代の人々は知らない知識に出会ったとき、すぐにネット検索して答えを見つけ出してしまうからです。
Googleに代表される検索エンジンを使えば、読めない漢字の読みから立秋が何月何日か、マイルとキロメートルの変換まで、あらゆる質問の答えが即座に出てきます。
これによって、私たちはなんでも知っているような気分になれます。
しかし、インターネットとの接続を断たれても、これらの質問に答えられる人はどれだけいるでしょうか?
古来より、人間が知識を得るためには、他者によって蓄えられてきた書物など外部の知識に頼る必要がありました。
しかし、オンライン検索は自身の思考と外部の情報とのインタフェースが非常に迅速であり、かつシームレスです。
今回の研究を行ったテキサス大学オースティン校のエイドリアン・ワード(Adrian Ward)助教授は次のように述べています。
「Googleがあまりにも速いので、私たちは自分が何を知っていて何を知らないのかを考える機会がないのです」
また、多いのが自分の曖昧な記憶をGoogle検索で補うという行為です。
有名人の名前や作品タイトル、細かい数値情報など明確に思い出せないことがあっても、「あれなんだったっけ?」と検索をかけることで「ああ、そうだった」という感じに正確な情報を見つけ出すことができます。
このプロセスは、自分の記憶に検索をかけているように錯覚されるため、余計に人はネットの情報と自分の頭の中の情報を混同してしまうようになるのです。
では、実際に人々はどの程度、ネットの情報と自分の知識を混同しているのでしょうか?
これを確かめるため、ワード助教授はいくつかの実験を行いました。