自分の知性の誤認
ワード助教授が行った1つ目の実験では、参加者に10の一般的な知識に関するテストを行いました。
このテストでは、自力回答するグループと、オンライン検索を使用するグループに分けて行われました。
当然、オンライン検索を利用した被験者はいいスコアを出しました。
そして、彼らはその後のアンケートでも、自分がオンラインを使って情報を見つけ出す能力や、自分自身の記憶力について高い自信を示していることもわかりました。
その後、今度は同じ10の一般的な知識に関するテストを、ネット検索などを使わずに自力で回答してくださいと被験者に要請しました。
このテストの前にワード助教授は、被験者に「ネット(外部の情報源)を使わずにどれだけ正解できると思うか?」という予測を被験者自身にしてもらいました。
最初のテストでネット検索を利用した被験者は、1回目のテストの成績が良かったため、将来自分の記憶のみに頼らざるを得なくなったとしても、問題はないと考えていました。
つまり最初のテストのパフォーマンスが、Google検索のおかげではなく、自分の知識のおかげだと考えていたのです。
この効果は、2つ目の実験で明確に説明することができました。
2つ目の実験では、同じテストを、自力回答するグループと、検索結果が25秒遅れるというGoogle検索を使ったグループで実施しました。
すると、「遅いGoogle」を使ったグループは、アンケートにおいて自分の内部知識に自身が持てなくなり、後のテスト成績を予測してもらった場合も、高い成績を出すと考えることができなくなったのです。
検索速度が落ちたことで、彼らは知識がどこに帰属するものかを、より明確に意識できるようになったのです。
これは、応答速度の早いネット検索が、外部と内部の知識の境界を曖昧にしていることを示唆しています。
最後にワード助教授は、50の問題のテストを、Google検索かWikipedia、どちらかを使って回答してもらうという実験を行いました。
この実験では、回答後にテストで答えた50の質問に加えて、新たに20の質問を加えた問題集を見せて、被験者に「自力で回答した問題」か、「ネット検索を利用して回答した問題」か、あるいは「初めて見る問題」かを判別してもらいました。
すると、Google検索を使った人たちは、どうやってその問題を回答したかについて正確に記憶しておらず、ほとんど自力回答したと答えたのです。
つまり、「人々は質問をググったことさえ忘れていたのです」とワード氏は驚きを語っています。
この場合、Wikipediaでは文脈情報が追加されるため、情報を消化するためにより多くの時間が必要だったことが、人々の知識の境界を区別するのに役立っていたと考えられます。
インターネットの初期開発に貢献したダグラス・エンゲルバートは、技術者のヴァネヴァー・ブッシュが未来を予想したSF的な内容の論文の中でみつけた、誰でも知識を簡単に入手できる「memex」という情報検索システムに触発されて、インターネットの概念を思いついたと語っています。
インターネットは、まさに初期の開発者たちが想定していた通りに実現され社会で機能しています。
それは多くの科学者や人類が望んでいたものですが、しかしこのシステムに頼り切りになることの弊害を、今回の研究は訴えています。
このことは、意思決定に影響を与える可能性があるとワード助教授は言います。
「インターネットの利用で知識が増えたように錯覚してしまうと、医療上の判断やリスクの高い金融上の判断をする際に直感に頼ってしまうかもしれませんし、科学や政治に対する自分の見解にさらに固執してしまうかもしれません」
これは教育にも影響する話だと、さらにワード氏は付け加えています。
「学生は、すでに自分に知識が十分あると感じていれば、知識を得るために費やす時間やエネルギーは少なくなるかもしれません。
もっと広く言えば、教育者や政策立案者は、教育を受けるということの意味を再考する必要があるかもしれません」
人々の知性を拡張するために生まれたインターネット。
しかし、それが人々の知性を減退させては元も子もありません。
無知の知を忘れないようにGoogle検索は利用しましょう。