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history archeology

噴火後のポンペイ、盗人や放浪者が集まる「無法地帯」になっていた

2025.08.11 20:00:21 Monday

西暦79年、ヴェスヴィオ火山の大噴火が古代ローマ都市ポンペイを一瞬で飲み込みました。

この大災害で多くの人命が失われ、ポンペイの街は火山灰と軽石に覆われたまま時間が止まった――そう私たちは思い込んできました。

しかし伊・ポンペイ考古公園(Parco Archeologico di Pompei)の最新調査によって、この「死の街」に人々が戻り、しかも400年近く暮らしていたことが明らかになったのです。

またそこは秩序だったローマ都市ではなく、盗人や放浪者、生活に困窮した人々が集まる、まるで無法地帯のような場所だった可能性があります。

After Mount Vesuvius erupted, Romans returned to Pompeii and stayed for 400 years — but it was likely anarchy https://www.livescience.com/archaeology/romans/after-mount-vesuvius-erupted-romans-returned-to-pompeii-and-stayed-for-400-years-but-it-was-likely-anarchy Pompei fu rioccupata dopo la distruzione del 79 d.C. – Emergono nuove tracce dal cantiere dell’Insula Meridionalis https://pompeiisites.org/comunicati/pompei-fu-rioccupata-dopo-la-distruzione-del-79-d-c-emergono-nuove-tracce-dal-cantiere-dellinsula-meridionalis/

破滅後のポンペイに人々が戻っていた

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現在のポンペイ/ Credit: ja.wikipedia

ポンペイの南部地区「インスラ・メリディオナリス」で行われた修復と保存作業の最中、考古学者たちは意外な痕跡を発見しました。

それは噴火後に再び人が住み着いた証拠です。

火山灰に埋もれた建物の上階だけが露出し、そこに簡易的な住居が作られていました。

元々の地上階は灰に埋もれていましたが、建物内部からは下の階に降りることができ、そこは貯蔵庫や作業場として利用されていました。

実際、地下のようになった空間には暖炉やかまど、製粉用の臼が設置され、生活の営みがあったことがわかります。

戻ってきた人々は、噴火を生き延びたものの、他の土地に移る手段や金銭的余裕がなかった住民たちと見られます。

さらに近隣からやってきた定住地を持たない人々や、廃墟に眠る財宝を狙う者たちも加わっていました。

こうしてポンペイは、かつての整然とした都市ではなく、不安定で雑然とした集落のような姿へと変貌していきました。

考古学者ガブリエル・ズクトリーゲル氏によると、この再定住の痕跡は以前から存在していたものの、過去の発掘ではほとんど記録されず、灰の下の豪華な壁画や遺物を急いで掘り出す過程で取り除かれてしまったといいます。

新しい調査によって初めて、ポンペイの「死後の姿」が鮮明に浮かび上がってきたのです。

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