壊れやすい量子を守る秘密の『暗闇』

量子の世界には、私たちの日常の感覚では不思議に感じられるような現象がたくさんあります。
その中でも特に重要で、現在多くの科学者たちが注目している現象が「量子もつれ(エンタングルメント)」です。
量子もつれとは、2つ以上の量子粒子がまるで見えない糸で繋がったように、一方の状態が変化すると離れたもう一方も瞬時に影響を受ける現象のことを言います。
この現象の奇妙さから、アインシュタインは「不気味な遠隔作用」という言葉でその不思議さを表現しました。
この量子もつれは、なぜ今これほど注目されているのでしょうか?
それは量子もつれが、量子コンピューターや量子通信といった未来の革新的な技術の基盤となるからです。
量子コンピューターは、従来のコンピューターでは何年もかかるような複雑な計算を瞬時に解く能力を秘めています。
量子通信は絶対に盗聴されることのない安全な情報伝達を可能にすると期待されています。
このように「もつれ」を利用することで、私たちの暮らしが大きく変わる可能性があります。
しかし、このように魅力的な量子もつれには、まだ実用化を阻む重大な課題があります。
それは量子もつれが非常に壊れやすく、外界のノイズ(熱の揺らぎや周囲からの電磁波など)によって簡単に消えてしまうことです。
このノイズによる量子もつれの崩壊現象は「デコヒーレンス」と呼ばれ、量子技術が実験室の外で広く実用化されるのを妨げる最大の壁となってきました。
そこで、量子もつれをより長く安定に維持する方法として、近年注目を浴びているアイデアがあります。
それは「明るい状態(ブライトステート)」と「暗い状態(ダークステート)」という2種類の状態を使い分けることです。
複数の量子粒子がもつれ合っているとき、全体として明るい状態(ブライトステート)になることがあります。
これは粒子が協力して光を強く放つため、観測しやすいという利点がありますが、そのぶん外部のノイズにもさらされやすく、もつれを保つ時間は短くなります。
例えるなら、「明るいスポットライトの下に置かれた宝石」のように、輝きは美しいですが、誰の目にも触れやすく、傷つきやすい状態と言えます。
一方で、今回の研究で特に注目したのが、明るい状態とは真逆の「暗い状態(ダークステート、サブラディアント状態)」という状態です。
暗い状態とは、粒子が協力して光を打ち消し合い、外に光をほとんど出さない状態のことを指します。
これを日常的な言葉で表現すると、「闇に隠された宝石」のようなイメージです。
暗いために外から見つけることは難しいですが、そのかわり外部のノイズにも影響されにくく、非常に安定しています。
つまり、量子もつれをこの「暗い状態」の中に閉じ込めてしまえば、量子の繊細な情報を外部の影響から守り、より長期間維持することが可能になると予想されてきました。
理論的な研究では以前からこの可能性が示されていましたが、実際に安定した暗い状態を作り出してその長寿命の性質を確かめるのは、これまで難しい課題でした。
今回の研究チームは、この理論的なアイデアを実験的に確かめることを目指しました。
そして実験の結果、実際に「定常的なサブ放射(暗黒状態)」という暗い状態を作り出し、光との相互作用が非常に弱くなったため、量子もつれを保つために必要な量子相関が通常よりはるかに長く維持できることを確認しました。
この結果は、量子情報をノイズから守る「究極の盾」を手に入れる可能性を示しています。
この「闇に隠れた量子の宝物」を自在に操ることができれば、量子コンピューターや量子通信、そして超高感度センサーなど、未来の多くの分野で革命的な進展が期待できるでしょう。