2つの量子力学
物理学において重要な課題の1つが、実験結果と一致した値が導ける方程式(法則)を見つけ出すことです。
しかし、粒子と波動という相容れない2つの性質を示す光や電子の振る舞いは、古典物理学の常識では説明できず、実験と一致した値を計算することもできませんでした。
そこで、ハイゼンベルグは新しい理論「行列力学」を作り出し、これを計算できるようにしました。
これはざっくり言えば、電子の振る舞いについて、取りうる値を全部書き出して行列計算するというものです。
しかし当時の物理学者たちにとって、行列計算はまったく馴染みのない計算方法でした。
しかも数学が得意だったハイゼンベルクは「別に視覚的なイメージが伴わなくても何の問題もないだろう」と考えていたため、ここまでの解説で多用したような、図に描いて解説できるイメージが何もありませんでした。
今記事を読んでいる読者も行列力学が何なのかほとんど意味がわからないでしょうが、実際当時の物理学者たちもこの理論がどんな現象を取り扱っているのかさっぱりわからなかったのです。
物理学は数学とは異なり、目に見える現実の現象を取り扱った学問です。
そのため、現象をイメージもできず、難解な計算方法を強いる行列力学は、物理学者たちもうんざりだったのです。
そんな中、救世主のごとく登場したのが、現代でも誰もがその名を知るエルヴィン・シュレーディンガーです。
シュレーディンガーは、幅広い分野をカバーできる器用な理論家で、他人の研究を分析してわかりやすく解説する能力に長けていました。
あるときシュレーディンガーはアインシュタインの論文の中で引用されていた、ド・ブロイの学位論文を見て興味をもちます。
ド・ブロイの理論は先に説明したように、電子などの物質も光同様に波として振る舞うと主張したもので、その波は物質波(ド・ブロイ波)と呼ばれていました。
シュレーディンガーはこの理論についても、見事な解説を行います。
しかし、その解説を聞いた物理学者のピーター・デバイは「ド・ブロイの理論には物質波を記述する波動方程式が存在しないからナンセンスだ」と指摘しました。
それはシュレーディンガーから見ても、もっともな意見でした。波動方程式がない波の理論など、物理学では話にならないからです。
そこでシュレーディンガーはド・ブロイの言う物質波を記述する波動方程式について考えてみました。
最初シュレーディンガーは特殊相対性理論と矛盾しない波動方程式を考えていましたが、それは実験結果と一致した答えを導けませんでした。
そこで彼は古典物理学の常識は無視して、物質波の波長と、粒子の運動量を結びつける方程式を創作したのです。
そうして誕生したのが、かの有名なシュレーディンガー方程式です。
この波動方程式を基礎にして、シュレーディンガーは新理論『波動力学』を打ち立てます。
余談ですが、シュレーディンガーはとっかえひっかえ愛人を作るプレイボーイで、この世界に革命を起こす偉大な波動方程式を見つけ出したのも、不倫旅行の最中でした。
そのため、ボルンには「彼のような私生活は私たちのような平凡な人間には理解できない」と言われ、ドイツ人数学者のヘルマン・ヴァイルにはこの偉業を「人生後半のエロスの噴出の賜物だ」、と言われたそうです。
そんなシュレーディンガーの私生活の問題はともかくとして、ハイゼンベルクの行列力学に苦しんでいた物理学者たちは、この波動力学に「待ってました!」とばかりに飛びつきました。
なにせこの理論は謎めいた行列とは異なり、電子の振る舞いを馴染み深い波のイメージで視覚的に説明してくれた上、計算に必要な技術は物理学者たちにとって非常に使い慣れた微分方程式でよかったからです。
これにはプランクもアインシュタインも称賛を贈り、ゾンマーフェルトさえ「行列力学が正しいことは疑う余地がないが、取り扱いが非常に難しく、恐ろしく抽象的だ。シュレーディンガーはそこから我々を救ってくれた」と評しました。
パウリもその明快さに驚愕し感銘を受けたと語り、行列力学の誕生に貢献したボルンさえ波動力学に乗り換えてしまいました。
面白くないのはハイゼンベルクでした。
彼からすれば、突然お株を奪われたようなもので、しかも盟友のパウリにも、師であるボルンにも裏切られたと感じたのです。
ハイゼンベルクは原子レベルの出来事を正しく記述しているのは自分のほうだと考えていました。
しかし、正しいも何も、不思議なことにまったく形式の異なるこの2つの理論は、同じ問題に当てはめた場合、まったく同じ結果を出すのです。
波動方程式を使い波を記述する理論と、行列代数を使い粒子の状態を書き出した理論が、数学的には等価なものだったのです。
この事実はイギリス人の理論物理学者ポール・ディラックによって証明されます。
それは波動と粒子の二重性に、再び直面する問題でした。