物質の全ては波
物理学の常識では同時に成り立つはずのない2つの性質「粒子」と「波動」が、どちらも成り立ってしまうという問題に対し、最初の光を当てたのが、物理学者としては異例の系譜を持つフランス公爵家出身の貴公子ルイ・ド・ブロイでした。
彼はX線を研究する兄モーリスの影響で物理学にはまっていき、兄が公爵家を継ぐために科学の道を諦めたため、その意志を引き継いで物理学者になりました。
ド・ブロイの発想は非常に画期的でした。
彼は光が粒子なのか、波なのかという論争を物理学者たちが繰り広げる中で、次のようなことを考えたのです。
「波であるはずの光が粒子のように振る舞うのだとしたら、原子などの粒子は波のように振る舞うのではないだろうか?」
ド・ブロイはこの考えに基づき、当時太陽の周りを回る惑星のように原子核の周りを軌道を描いて回る粒子だ、と考えられていた原子内の電子を定在波であると仮定した論文を書いたのです。
一見突拍子もないド・ブロイの思いつきですが、この理論はボーアの原子モデルが抱えていた問題を見事に説明することができました。
ボーアが新しい原子モデルを発表した当初、多くの物理学者は次のような疑問を唱えていました。
「電子が加速して運動した場合、電磁エネルギーが放射され電子は自身のエネルギーを失ってしまうはずだ。そうなると電子は原子核に落下してしまうだろう」
そこで、ボーアは「特別(定常的)な軌道を回るときは、電子はエネルギー放射を行わないので、原子核に落ちることはない」と説明しました。
ボーアは数学的にその軌道の長さや、エネルギー量を計算して示すことにも成功しましたが、「ではなぜ特別な軌道上では電子がエネルギー放射をしないのか?」という疑問には答えられなかったのです。
もしド・ブロイの主張する通り、電子が粒子でなく波なのだとしたら、それは運動しているわけではありません。
粒子の運動でないなら、電子は加速することもなくエネルギー放射を行うこともありません。つまり原子核に落下することもなくなるのです。
しかも、ド・ブロイの考える定在波の電子は、原子核の周りでぐるりと円を描いて繋がっているため、波形のずれる長さでは成立しません。
軌道の長さは、必ず電子の波長の整数倍でなければならず、それはボーアが計算した電子の軌道とピタリと一致しました。
つまり「電子に定常的な軌道が存在する理由」についても、ド・ブロイの理論は説明することができたのです。
しかし、このアイデアがすぐに物理学者たちに受け入れられることはありませんでした。
なにせ、この論文はド・ブロイが学位取得のために書いた博士論文だったのです。
けれど、この論文を手放しで評価した人物が現れました。
それが、光電効果によるノーベル賞受賞と、一般相対性理論の発表をほぼ同時期に果たし、一躍時の人となっていたアインシュタインでした。
当時の物理学会にとってアインシュタインの太鼓判は、ド・ブロイの考えを受け入れるのに十分な理由でした。
しかし、「粒子だと思っていた電子が波である」などという主張はどうやって証明すればいいのでしょう?
ド・ブロイはそれについて、「電子が波の性質を持つならば、電子も回析を起こすはずだ」という予想を述べました。
このド・ブロイの予想は、後に複数の物理学者たちの実験によって証明されます。
その中の一人が、ジョージ・トムソンでした。この功績によりジョージ・トムソンはノーベル物理学賞を受賞します。
ちなみに、彼の父、J・J・トムソンは電子が粒子であることを発見し、ノーベル物理学賞を受賞した科学者です。
トムソン親子は驚いたことに、それぞれ「電子は粒子である」「電子は波である」ということを実験で証明し、親子二代でノーベル賞を受賞してしまったのです。
これには物理学者たちも苦笑いだったでしょう。
もはや、光も電子も「波でありながら粒子の性質を示す」ことは間違いのない事実となりました。
ただ問題は、波と粒子が同時に成り立つことを、古典物理学の概念では表現できないことです。
ここからの物理学に求められるのは、見慣れた世界を捨て去った新しい理論だったのです。