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どんな女性が戦いに参加したのか?
グラディエーターの慣習は紀元前264年に、故人の哀悼のための儀式の一環としてスタートしました。
しかし、規模が大きくなるにつれ世俗化し、各都市にアンフィテアトルム(円形闘技場)が建設されるように。
そこでグラディエーターたちは互いの決闘や猛獣との戦いを披露し、また闘技場に水を張って模擬海戦を繰り広げたりしました。
戦いの迫力に民衆は魅了され、またたく間に「見世物」として定着。何千、何万という剣士や動物たちが娯楽のために命を落としました。
ところが、380年にキリスト教がローマ帝国の国教になると、この慣習に批判的だった信者たちの反対により、斜陽化していきます。
404年には各地の闘技場が閉鎖、その後も細々と続けられていたものの、かつての熱狂はなく、681年に公式に禁止されて消滅しました。
では、これらの戦闘に女性はどう参加したのでしょう?
まず、「グラディエーター」のように、女性剣闘士を指す正式な言葉は当時から存在しませんでした。
そのため、19世紀の学者たちは新たに「グラディアトリクス(Gladiatrix)」という名称を作りました。
グラディアトリクスについての記録は、さまざまな文書や碑文の形でたくさん残っています。
古代ローマでは、女性を指すラテン語として、ムリエレス(mulieres、下層あるいは一般女性)・ルディア(ludia、祭りや娯楽に出演する女性)・フェミネ(feminae、高貴な婦人/位の高い女性)の3つがありました。
古文書によると、このうちのムリエレスとルディアが戦闘に参加したとされています。
しかも戦闘への参加は、権力者による強制ではなく、自らの選択であったようなのです。
一体なぜなのか、その理由を次に紐解いていきます。