自らの「尊厳」を勝ち取るための戦い
これには、古代ローマの社会的背景が関係しています。
当時のローマは男性優位の家父長制であり、女性にはほとんど自由が与えられず、彼女たちの権利はパートナーの男性との関係で決められました。
とくに女性は、家庭と結婚生活のうちでのみ重視され、性的貞節・良識・夫への愛・夫婦間の調和・家族への献身・多産豊穣などが美徳とされました。
しかし、位の高い婦人ならともかく、下層階級の女性たちは精神的にも経済的にも大いに苦しめられます。
そのことから専門家らは、自立への欲求、名声を得るチャンス、借金の免除などの経済的報酬をかけて、グラディエーターの世界に身を投じたのだろう、と指摘します。
ただし、彼女らが男性の剣闘士と戦うことはありませんでした。
戦う相手は同じグラディアトリクス同士か、動物だったと記録されています。
古代ローマの歴史家、カッシウス・ディオ(155〜235年)は、ネロ皇帝の母を記念して開催された祭事について、「女性たちが馬を駆り、野獣を殺し、剣闘士として戦い、一部は喜び勇み、一部は意に反して痛ましいほどだった」と記録しています。
また、「ドミティアヌス帝(51〜96年)はしばしば夜間も競技を行い、時には小人(体の小さな奇形の人)や女性を対戦させた」という記述も残されています。
ところが紀元200年に、セプティミウス・セウェルス帝(146〜211年)は、こうした見世物が女性に対する敬意の欠如を助長するとして、女性剣闘士の参加を禁止しました。
先のディオは「女性たちが参戦し、激しく競い合ったことで、戦いに参加していない他の女性についても悪い冗談が言われるようになった」と書き記しています。
それでも、3世紀後半になっても女性の剣闘士がいたことは、ローマ近郊の港町オスティアの碑文が示しています。
ここには、地方行政官が闘技場での戦闘のために、女性を剣闘士として提供した旨が記されています。
トルコ南西の都市ボドルムの遺跡からは、2人の女性剣闘士を彫刻した紀元1〜2世紀の石版(上の図)が見つかっています。
これは「ハリカルナッソスのレリーフ」と呼ばれ、2人の剣闘士は、アマゾン(Amazon) とアキリア(Achilia)という芸名で呼ばれていたことが分かっています。
また1996年には、ロンドンのグレート・ドーヴァー・ストリートにある古代ローマ遺跡で、女性剣闘士の遺骨が発見されました。
墓地からは戦闘競技にかかわる品々が出土しており、遺骨の分析の結果、女性は20代だったことが判明しています。
このように、グラディアトリクスの存在を示す証拠は無数に見つかっています。
尊厳を求めて戦ったのは男性だけではないのです。
面白いお話でした。