5〜7世紀の「アーサー王物語」は実話かフィクションか
伝説的な王としての「アーサー」の物語は、ジェフリー・オブ・モンマスが12世紀に書いた歴史書『ブリタニア列王史(Historiae Regum Britanniae)』によって世界的に浸透しました。
アーサー王は一般に、5世紀後半〜6世紀初めのブリトン人の王として伝わっています。
モンマスの書によると、アーサーは、ブリタニア王ペンドラゴンとコーンウォール公妃イグレインの子で、イングランド南西部・コーンウォール地方にあったティンタジェル城で生まれたという。
のちにアーサー王は、ヨーロッパ北部からイギリス東部に侵入してきた異民族「アングロ・サクソン人」の侵攻を撃退したと言われています。
しかし、モンマスも史実をもとにこの話を書いたわけではありません。
アーサー王の史実性を証明する記録は『カンブリア年代記(Annales Cambriae)』や『ブリトン人の歴史(Historia Brittonum)』に断片的に残されているのみです。
世に有名な「アーサー王物語」のほとんどは、後世の創作や民間伝承によるもので、次第に理想のキリスト教的君主として描かれるようになりました。
アーサーを導く魔術師マーリンや、円卓の騎士、聖剣エクスカリバーなど今に伝わる有名な挿話は、たいていフィクションです。
これにより、「アーサー王は実際に存在しなかった」と考える歴史家が多くいます。
その一方で、本研究主任でレディング大学の歴史学者、ケン・ダーク(Ken Dark)氏は「同名の実在する人物か、架空の英雄が、6世紀ころにイギリス西部で有名になった可能性は高い」と指摘します。
というのも、氏によると、同時代のイギリスやアイルランドの王族の間で「アーサー(Arthur)」という名前の使用が突然急増したことがわかっているのです。
これは、王族たちの名付けに影響を与えるほどの「アーサー」という理想の人物が何らかの形で存在していたことを暗示しています。
ところが問題は、アーサー王と同時代に存在したイギリス王族たちの墓が見つかっていないことです。
この謎を解明するべく、ダーク氏と研究チームは調査を開始しました。