65基が「失われた王家の墓」の可能性あり
研究チームは、イングランドとアイルランドの西部にある5〜7世紀の数千の埋葬地にて、過去に行われた考古学的調査を再検討しました。
その結果、約20の埋葬地で、のべ65基のイギリス王家のものと思しき墓が特定されたと述べています。
ダーク氏によれば、王族たちの墓はキリスト教徒たちの墓とともにあり、アングロ・サクソンの支配者のそれと比べると、やはり飾り気がなく、さらに誰が埋葬されたかを示す石碑もなかったという。
その一方で、他のキリスト教徒たちと違い、長方形や円形の溝で囲われていました。
囲いのサイズはさまざまで、平均して縦9メートル、横4〜9メートル。1つの囲いの中央に墓が1つだけの場合もあれば、4つ並んでいる場所もありました。
ダーク氏は「王家の墓はどれも標準化されていましたが、その一部は、他の墓より明らかに故人の地位が高いことを物語っている」と指摘。
「これらが、”失われた王家の墓地”である可能性は高い」と述べています。
例のひとつとして、アーサー王とゆかりの深い「ティンタジェル」で見つかった墓をあげましょう。
ここでは、キリスト教徒の墓地の中で、王族の墓とされるものが5基見つかっています。
その5基は、他の墓にはない土の塚で覆われており、生前の地位の高さを示していました。
故人の名前を記した石碑などはないため、誰が埋葬されているのかはわかりません。
しかし、5〜7世紀の間に、ティンタジェル地方を支配した王族の誰かである可能性はあります。
もしかしたら、その中の一つは、アーサー王のものだったりするのかもしれません。