古代中国で行われた「五つの刑罰」
これまでの研究で、「五刑」は紀元前2000年頃に、中国最古の夏王朝で始まったことがわかっています。
軽犯罪者は殴打などの軽い処罰で済まされましたが、重犯罪者には、五刑のうちのどれかが執行されました。
1つ目は消えない入墨を顔や額にいれる「墨刑」、2つ目は鼻を削ぎ落とす「ぎ刑」、3つ目は男なら去勢、女なら幽閉の「宮刑」、4つ目が足を切り落とす「ひ刑」です。
そして、最も罪の重い者に科されたのが「大辟 (死刑)」でした。
死刑では、運が良ければ斬首刑なのですが、それ以外だと「生きたまま煮る」「 馬で四肢を引き裂く」といった残酷な方法で処刑されました。
こちらの画像は、紀元前1000年頃の中国の青銅器で、足切り刑を受けた人々の像です。
この像から、足の切断後は「門番」として雇われることが伝統としてあったと見られます。
五刑は、紀元前2世紀の漢王朝で廃止されるまで、1000年以上にわたって続けられています。
廃止後の刑罰は、罰金や鞭打ち、重労働、流刑などに変わり、重罪人に対しては、先のように残酷でない方法での処刑がなされたようです。
中国の「足切り刑」の証拠として最古のもの
そして、本研究で調査された女性の遺骨は、1999年に、中国・陝西(せんせい)省にある周原遺跡の墓で発見されました。
この墓は約2800年〜3000年前のもので、女性の遺骨は右側の足先がない状態で見つかっています。
足の欠損はこれまで、ほとんど見過ごされてきましたが、今回の新たな研究により、女性の生涯について多くのことが明らかになってきました。
解剖学的な分析によると、女性は30〜35歳で亡くなっており、右足がないことを除けば、いたって健康だったことが判明しています。
足を失った後に病気を発症した形跡もなく、周囲の人に丁重な世話を受けていたことが伺えます。
また、残った足の骨の回復具合から、この女性は切断後から5年間は生きていたようです。
墓の副葬品にはわずかな貝殻しか見つからず、女性がかなり貧しい生活を送っていたことを示しています。
それから女性の骨には、糖尿病やガンなど、足を切断しなければならないような病気の兆候はなく、凍傷や火傷の痕跡もありませんでした。
他の説明としては、たとえば、第三者から襲われたり、あるいは高いところから落ちて偶発的に足を切断した可能性が挙げられます。
しかし、本研究主任である北京大学のリー・ナン(Li Nan)氏は「そうした事故的な切断の可能性は低い」と指摘。
その根拠について、「もし彼女が誰かに襲われたり、高所から転落したのであれば、他の身体部位に何の傷跡や異常もなく、右足だけ失ったことの説明がつかない」と述べています。
さらに、残された右足の骨の断面は滑らかでなく、顕著な変形治癒(骨折の治りが悪いこと)が観察されました。
ナン氏は「当時の外科手術でも、これよりはるかに綺麗に切断できる」と指摘。
以上の観点から、女性の右足は手術や事故、病気ではなく、刑罰として乱雑に切断されたと結論されました。
一方で、女性が何の罪で足切りの刑を受けたのかは、見当がつきません。
ナン氏によると、五刑を宣告されるには、不正や反抗、盗みなど、500種ほどの罪状があり、遺骨から彼女の犯した罪を特定するのは無理だという。
しかし、この女性の遺骨は、過去に見つかっている古代中国の足切り刑として、最も古い証拠です。
当時の中国社会を理解する上で、貴重な資料となるでしょう。