なぜセルフ手術をする羽目になった?
1961年1月、若き外科医だったロゴゾフは、旧ソ連の第6次南極観測隊に専門医として参加していました。
延べ12人で編成された観測隊の目的は、南極にソ連用の基地を建設することでした。
その新たな基地は2月半ばに完成し、任務を終えた一行は、厳しい冬を乗り切るために基地に腰を落ち着けました。
ところが4月末になってロゴゾフは体調を崩し、日に日に衰弱して吐き気をもよおし、右腹部に激しい痛みを覚えるようになったのです。
もちろん彼は何百という患者を診断してきた医者なので、すぐに自分が「急性虫垂炎」であると判断しました。
急性虫垂炎は、腸の入り口の先端にぶら下がっている虫垂に炎症を起こすことで発症する病気です。
そのまま放置すると虫垂に膿(うみ)が溜まり、悪化すると穿孔(せんこう、虫垂の破裂)を起こして、膿が腹腔内に放出され、腹膜炎を併発する恐れがあります。
観測隊は基地の中で完全に孤立しており、外部からの援助は望めませんでした。
ソ連から南極までは最低でも船で36日かかり、迎えの船が帰ってくるのもまだ1年先。強い吹雪のため飛行機も飛べません。
そしてチームの中で医学の道に通じているのはロゴゾフただ一人でした。
彼は虫垂が破裂すれば、ほぼ間違いなく死ぬと分かっていました。
残された選択肢は、そのまま死ぬか、自分で手術するかしかなかったのです。
そして、彼は覚悟を決めました。
彼がのちに残した手記には、こう書かれています。
「何もしないで死ぬくらいなら、自分で手術をしよう」