コロナ感染後に両親の顔が分からなくなる
コロナ感染による相貌失認の疑いは、あるアメリカ人女性(28歳)の症例報告に端を発します。
アニーさん(プライバシー保護のため仮名)は2020年3月に初めてコロナに感染し、味覚や嗅覚の喪失、呼吸苦、数日間に及ぶ高熱など、一連の症状を経験しました。
その後、順調に快復に向かったものの、2カ月後に再発し入院しています。
そして症状が治まり、家族と久しぶりに再会したときに事件は起こりました。
アニーさんは両親の顔に気づかず、その前を通り過ぎてしまったのです。
父親に声をかけられたときも「まるで他人の顔から父の声が聞こえてくるようでした」と語っています。
コロナ感染前には正常な顔認識ができていたものの、今では「知人の顔が頭の中で水のように歪んでいる」という。
現在では家族や友人を認識するために、彼らの聞き馴染んだ声を頼りにしているそうです。
そこでダートマス大の神経心理学者であるマリ=ルイズ・キースラー(Marie-Luise Kieseler)氏とブラッド・デュシェーヌ(Brad Duchaine)氏は、アニーさんに一連の認知テストを行いました。
最初のテストでは、彼女に60枚の有名人の顔写真を見せ、その名前を答えるよう指示し、その正答率をコロナ感染していない健康な人々と比較。
(有名人の顔リストは事前にアニーさんが知っていることが確認されている)
その結果、非感染者の正答率は84%だったのに対し、アニーさんはわずか29%に留まり、多くの有名人の顔が誰だか分からないと答えました。
別のテストでは、ある有名人の名前を伝えて、その本人の顔画像とそっくりさんの顔画像を並べて提示し、本物の方を選ぶように指示します。
この結果も非感染者の正答率87%に対し、アニーさんは69%と低い結果になりました。
このためアニーさんは、知っているはずの人の顔が認識できない「相貌失認」を起こしていると診断されました。
ただアニーさんは、顔自体の検出や識別、物体や場面の認識能力は正常であったことから、「顔の記憶」にのみ選択的な欠陥を起こしていると考えられます。
次いでチームは、他の感染者でも同様の相貌失認が見られるか確認するため、コロナ後遺症が12週間以上つづいている患者50名以上で調査したところ、多くの人が「感染後に家族や友人の顔が識別しづらくなっている」と回答したのです。
サンプル数が少ない上に自己申告の報告であるため、調査結果には限界がありますが、両氏は「コロナ感染により脳神経に何らかの問題が起き、相貌失認を起こす可能性は十分にある」と述べています。
さらに相貌失認だけでなく、アニーさんには方向感覚やナビゲーション能力の低下も見られました。
本人によると、今まで慣れ親しんでいた町の道順などが分からず、車での運転が難しくなっているといいます。
実は、ナビゲーション能力の低下は相貌失認の患者によく見られる症状です。
両氏によると、顔認識とナビゲーション能力は側頭葉の中の隣接する脳部位に依存しているため、その領域に問題が生じると2つの障害を併発しやすいという。
現状、コロナ感染によってこれらの症状が起きるメカニズムはまだ解明されていません。
しかし今回の結果から、コロナが脳神経に何らかの異常を引き起こす可能性は大であり、それにより予想外の認知障害を発症する恐れがあるようです。