量子世界の「重ね合わせ」は小難しい物理の話ではない
量子の世界では、私たち人間の直感に反する奇妙な「重ね合わせ」現象が多発しています。
重ね合わせが起こると「1つの量子が2つの穴を同時に通過する」という日常の常識から逸脱した現象が発生します。
人間の常識では、2つのスリット型の穴が開いた壁に、ペンキに浸したボールを打ち込み続ければ、スリットの向こうの壁には、無数のボール跡からなる2筋の着弾点ができるはずです。
しかし量子世界では1つの量子が左側を通る可能性と右側を通る可能性という2つの可能性が重なった状態で存在しており、さらにこれらが互いに干渉して、着弾した壁には複数のしま模様が形成されます。
このような不思議な現象が起きる理由は、量子がはっきりとした実態を持つ粒子ではなく、存在確率の波となって世界を広がっていくものだからだと考えられています。
そしてこの不思議な性質は、さらに不思議なことに人に観測されることによって消えてしまうことも知られています。
検出器を用意して量子がどっちの穴を通ったか確認する「観測」を行うと、量子はあやふやな存在確率の波から明確な粒子としての振る舞いに移行し、1つの量子が1つの穴しか通らなくなってしまうのです。
物理学者たちはこの現象をしばしば、検出器による「観測」という行為が量子の可能性を収束させ、人間の直感に沿う形へ転換させたと表現します(これをコペンハーゲン解釈といいます)。
また他の物理学者たちはこの現象が並行世界が存在する証拠であり、右の穴を通った世界線と左の穴を通った世界線が分岐したためだと解釈します(これを多世界解釈といいます)。
人間の直感に反する実験結果を突き詰めていくと、まるで魔法の世界のような「可能性の収束」や「世界線の分岐」など、ワクワクする単語が次々に飛び出してきます。
こうなると量子力学から感じる意味不明さは、物理学の小難しさが原因ではなく、宇宙の神秘の一端に触れた結果であることがわかるでしょう。
ですがどちらにしても重ね合わせ現象が、観測によって破壊されてしまう傾向があるのは確かなようです。
そうなると「観測とは何なのか?」という疑問が湧いてきます。
観測の方法を変えれば、重ね合わせの破壊も別の結果を産むのでしょうか?
2018年に行われた研究では、検出器とその操作を行う人間(仮称:ボブおじさん)を数光年離れた場所に設置するという、極端な状況について検討が行われました。
ボブおじさんの観測が行われれば、重ね合わせが破壊され、1つの量子が1つの穴しか通らなくなります。
しかし実験が行われる場所はボブおじさんから数光年も離れており、ボブおじさんが観測をはじめるずっと前に、量子は穴を抜けてその先の壁に着弾してしまいます。
ボブおじさんが実験の様子を観測できるのは、光速の限界のせいで、実験が終わった数年後だからです。
そのため実験が行われた当時は重ね合わせを破壊するような観測はまだ始まっていないため、壁に現れる跡は1つの量子が2つの穴を同時に通った証である「しま模様」になりそうです。
しかし量子力学のルールによれば、たとえ実験が終わった数年後であっても、ボブおじさんが観測に成功すれば、重ね合わせ状態が破壊されて1つの量子が1つの穴だけを通るようになるはずです。
ただその場合、ボブおじさんが観測した事実が5年前の量子の状態を変化させることになり、因果律の崩壊が起こってしまいます。
このように観測条件を極端なものにすると、異なる2つの宇宙のルール「量子力学」と「因果律」をぶつけて、何が起こるかを確かめることが可能になります。
2018年に行われた研究はまさにそれを調べており、ボブおじさんよる重ね合わせの破壊力が厳密な計算により弾き出されました。
すると、ボブおじさんの観測による影響力は確かに実験が行われた過去にも及んでいたものの、その値は環境による影響よりも小さくなっており、パラドックスは起こり得ないことが示されました。
つまり「ボブおじさんによる観測の影響は時間を遡って存在するが、肝心の影響力が小さすぎて何も起きていない状態と一緒」というわけです。
タイムパラドックスを題材にした話題ではたびたび登場する結末と言えるでしょう。
しかし研究者たちの好奇心は、観測者「ボブおじさん」をさらなる過酷な場所に連れていきます。
その場所とは、ブラックホールの中でした。
なぜ研究者たちはそんな極端な状況を想定したのでしょうか?