宇宙はブラックホールの目で自分自身の内部を観察している
2016年にスティーブン・ホーキング博士らが発表した論文では、ブラックホールに落ちてしまった「情報」について述べられています。
物理法則ではエネルギー保存則のように、情報も保存されると考えられており、たとえブラックホールに落ちてしまった情報も失われないとされています。
しかしホーキング博士自身が過去に提唱した理論により、ブラックホールは時間経過とともにエネルギーを失って消滅してしまうことがわかっています。
そうなればブラックホール内部の情報も失われてしまうことになり、情報が保存されるとする物理法則に反します。
そこでホーキング博士らは2016年に、物体はブラックホールに落ちてしまう前に、ブラックホールの淵である「事象の地平面」に情報を渡しているとする論文を発表しました。
この論文では事象の地平面にはソフト粒子と呼ばれる仮想粒子が存在しているとされており、ブラックホールに落ちようとしている物質は、このソフト粒子に情報の痕跡すはずだと主張されています。
また事象の地平面に存在する情報記録の仕組みは「ソフトヘア」あるいは「ブラックホールの毛」と呼ばれました。
今回の研究では、この事象の地平面の情報記録システム「ソフトヘア」の概念を流用して計算が行われました。
すると「ソフトヘア」はブラックホールに落ちる物体だけでなく、ブラックホールの周辺に存在する量子の情報も記録しており「観測」が成立していたことが示されました。
重ね合わせ状態にある量子をソフトヘアが観察したことで、重ね合わせが破壊され、量子の場所が1カ所に決定されていたのです。
しかしブラックホールが発する重力の影響は無限大であり、音や電波のように伝達を遮断することもできません。
そのため研究者たちは「最終的に宇宙に存在する全ての重ね合わせが完全に破壊されることになる」と述べています。
また同様の観測は事象の地平面だけでなく、情報が一方にしか伝わらない環境ならばどこでも存在する可能性があるとのこと。
たとえば膨張する宇宙の淵や光速に近い速度で動いている観測者の背後(リンドラーの地平線)などが相当するようです。
そのため研究者たちは「これらの淵は、常に宇宙内部を観測している」と述べました。
ただこの印象に対してはさまざまな意見があるようです。
たとえばヴァンダービルド大学の理論物理学者アレックス・ルプサスカ氏は「宇宙がブラックホールを目のように使用して、常に自分自身の内部を観測している」とする表現はやや言い過ぎだと述べています。
一方、ローレンス・バークレー国立研究所の理論物理学者ダニエル・カーニー氏は「詩的に言えば、そのように考えることもできる」と肯定的な意見を述べました。
どちらの意見が正しいかは、現在のところ不明です。
しかしブラックホールの周りで量子実験を行うという魅力的な舞台設定からは今後も、多くの思考実験が行われることになるでしょう。
もし小さな世界を描く量子力学と大きな物体の動きを支配する重力が1つの方程式にまとめられるようになれば、万物の法則に大きく迫ることにもなるはずです。