単一原子が量子的な波として広がっていく
1920 年代、猫のパラドックスで知られるシュレディンガーは、波動方程式によって粒子が持つ波と粒子の二重性を表現することに成功しました。
新たな研究では単一の原子が波のように振る舞う様子を鮮明な画像として記録することに成功しています。
量子の奇妙な世界では、粒子は特定の場所に固まって「存在する」のではなく、空間のなかで「存在確率が分布する」というあやふやな状態にあることが知られています。
ですがシュレーディンガーの波動方程式を使うと、ある粒子が特定の場所に存在する確率密度を導き出すことが可能になります。
たとえば平面上に固定されていた単一原子が解放されると、存在確率の濃さは上の図のように、最も存在しそうな点をピークにして広がっていきます。
この状態で「観測」を行った場合、原子が最も観測されやすいのは存在確率のピーク部分です。
しかし原子が束縛から解放されると、時間経過とともに存在確率は空間に拡散し、ピークの山も低くなっていきます。
存在確率の分布が広がった観測を行っても、原子が一番みつかりやすいのは中央のピーク部分ですが、その他の場所で観測される確率も増えていきます。
また波としての観点からみると、このピーク部分は複数の波が重なり合って振幅が最大になっている部分となります。
このようなピークをともなった存在確率の分布は「波束」と呼ばれています。
一見すると水面でみられる波紋のように見えますが、原子に動きが少ない場合、現実世界で見られる水の波紋よりも波束は遥かに圧縮され、ピークは高い状態に保たれます。
さらにシュレーディンガーの方程式を使用すると、特定の条件下で波束が時間経過とともにどのように変化するかを予測することが可能です。
波束の制御と原子の存在確率の制御は同義であるため、波束をうまく制御し視覚化することができれば、原子の存在確率の制御技術において偉大なブレークスルーとなるでしょう。
そこで今回、ソルボンヌ大学の研究者たちは、この単一原子の波束の視覚化に挑むことにしました。
調査にあたってはまず、リチウム原子を絶対零度近くまで冷やし、磁場やレーザーなどを組合わせて可能な限りエネルギーを奪い、動きを止めました。
存在確率の分布を示す波束は原子の温度が低ければ低いほど、形成されるピークは高く狭い範囲に絞られます。
次に研究者たちは個々の原子の周囲に光格子を展開させ、原子の動きを限界まで1カ所に閉じ込めました。
光格子というのはレーザー(波の揃った光)をミラーで繰り返し反射させることで、格子状のポテンシャルの障壁を作る方法です。
これは卵のパックのように原子を一つ一つ捉えて固定することができます。
こうすることで原子の波束を狭い場所に捕獲して「粒子」に近い状態として確保することが可能になります。
この状態で観測を繰り返し行っても、原子は日常世界の粒子と同じく、同じ場所(同じ光格子内部)に居続けてくれるからです。
(※この技術は量子気体顕微鏡として知られており単一原子をこれまでにない精度で観測することが可能になっています)
次に研究者たちは原子を閉じ込める力を弱め、原子を「解放」しました。
そして繰り返しの観測を行い、場所ごとの原子の存在確率を算出していきました。
上の図は実験の一連の過程を示しています。
図の一番左では、光格子トラップによって原子が1カ所に捕らわれている様子を示しており、トラップからの解放が行われると、確率分布が広がり、ピークも徐々に低くなっていきます。
また上の図は解放後の存在確率の広がりを、時間経過(1.5μs、3μs、5μs、8μs、10μs)ごとに示しています。
中央の最も濃い赤色の部分が、光格子によって原子が強く1カ所に閉じ込められている場所となります。
図をみると、原子が「解放」された直後(1.5μs)から存在確率の分布(波束)が広がりはじめ、時間経過とともに拡散していく様子がわかります。
シュレーディンガー方程式からは、波束が時間と共に広がってぼやけていくことが予想されていましたが、観測結果でも、方程式が示したとおりの挙動が確認できました。
また得られた観測データをまとめて視覚化すると、上の図のような映像が得られました。
図では赤い部分が原子が粒子として観測された部分で、白い部分が波のように動作する部分となります。
これまで様々な方法でシュレーディンガー方程式が示す粒子と波の二重性を証明する試みが行われてきましたが、これほどまで視覚的に鮮明な画像がえられたのははじめてとなります。
また新たな研究は、物質の量子的な挙動を理解し、さらに操作する技術において、重要な第一歩となりました。
このような鮮明な画像として量子世界を視覚的に認識することができれば、より高度な量子技術の研究と開発が加速するでしょう。