日本独自の「かわいい」
成人男性や老人は一般的にベビースキーマを刺激する要素を持っていません。
しかし、その仕草や立ち振る舞いに対し「かわいい」という言葉がかけられるのはよくあることです。
そんな成人男性や老人に対する「かわいい」はベビースキーマによる「かわいくて守ってあげたい」という気持ちを誘発するものとは異なります。
「きもかわいい」や「ぶさかわいい」も同様です。
「きもかわいい」の代表格である「こびとづかん」ではカラフルで可愛らしいシルエットの小人が顔だけおじさんになっているという二面性によってヒットしました。
また、芋虫やカエルなど「かわいい」と思われることが少数派となるものに対しても「きもかわいい」という言葉が使われることがあります。
日本では「守ってあげたい」以外にも「見ていたい」「知りたい」「広めたい」といったポジティブな感情を伴ったときに「かわいい」という言葉が出てくるようです。
「cute」と「Kawaii」の違い
日本の「かわいい」文化についてさまざまな著書を持つ大阪大学の入戸野 宏氏は日本の「かわいい」は日本独自のもので英語の「cute」とは性質の異なる単語であると言います。
実際、海外でも日本の「かわいい」はそのままローマ字で「Kawaii」と表記されており、英語に訳すことができない概念だとわかります。
入戸野氏によると「cute」は対象の属性を指すのに対し、「Kawaii」はその対象を見たときに見た側に生まれる感情そのものを指しているのだと説明します。
たとえば「He is cute.」と言った場合には、「cute」は対象者である「彼」の属性なので彼はいつでも「かわいい」あるいは「チャーミング」な見た目であるということになります。
一方、日本語で「彼はかわいい」というとさまざまな意味があり、中にはもちろん英語と同じ意味合いもありますが、「見た目は完全にオジサンだけど背中の丸さがうちの飼い猫に似ててかわいい」といった意味もありえます。
つまり日本語の場合の「かわいい」は受け手に生まれる感情そのものなのです。
このような「かわいい」は日本にしかないため、英語圏の方々もそのまま「Kawaii」と言っているのですね。
かわいい≠幼い
入戸野氏は2009年に発表した論文の中で、日本の「かわいい」はベビースキーマによる「庇護」よりも範囲が広がっていると述べています。
ベビースキーマの「庇護」は種の存続に向けて幼体が生き残れるように「守る」ことを指しますが、現代の日本の「かわいい」では対象を「見続けたい」「共存したい」といった要求にまで広がってきていると考えられます。
本来「かわいい」の主体はあくまで見ている観察者の感覚にあり、観察者と対象者の関係性や、観察者の価値観によってそれが「かわいい」かどうかが決まります。
しかし現代の拡張された「かわいい」の概念は、対象にたいして「見続けたい」またはその対象と「共存したい」と感じる傾向があるようです。
このように「かわいい」の定義は広がり続けてきたのです。
しかし、自分の種族以外の幼体も「かわいい」と思ったり、最初はそのかわいさに気づいていなくても他人が「かわいい」と思うものまで「かわいい」と共感したりするのは何故なのでしょうか?