ゾウが抗がん遺伝子を20個も持つ理由は「熱い睾丸」にあった
ゾウにおいてがん化を防ぐ役割をしていると考えられるのが20個に及ぶ抗がん遺伝子「TP53遺伝子」のバリエーションです。
抗がん遺伝子「TP53遺伝子」は、これを設計図にして作られるp53タンパク質を通じて、DNAの修復を指揮し、修復が不可能な場合には細胞の自己破壊(アポトーシス)を引き起こす役割を果たします。
これによりがん性の突然変異が防がれるのです。
そのためTP53遺伝子やp53タンパク質はがん化を防ぐための守護神として機能していると言えます。
実際、多くのがん化した細胞では守護神となるTP53遺伝子に突然変異が起きており、正常なp53タンパク質が作られなくなっていることが判っています。
近年の研究により、ゾウはこのTP53遺伝子を20個も持っているということが、明らかになりました。
TP53が20個あるということは、守護神がそれだけ多く存在していることを意味しており、1つ2つが変異して機能を失っても、残りのTP53たちが、がん化を防いでくれると考えられています。
そのためこれまでの見解では、ゾウががんに対する抵抗力を獲得するために、TP53遺伝子が増殖したと考えられていました。
では地球上に存在する大きな動物は全てTP53遺伝子を多くもつことで細胞のがん化を防いでいるのでしょうか?
意外なことに答えは「NO」です。
クジラも抗がん能力を持ちますが、それはTP53がたくさんあるためではありませんでした。
そのため研究者たちはゾウがTP53遺伝子のコピーを増やした背景には、抗がん能力とは別の、ゾウ特有の性質に関連していた可能性があると考えたのです。
そこで今回注目されたのが、オスゾウの精巣が体内深くに存在し、外界の温度変化から保護されている点でした。
この特性は、精子形成における温度調整という重要な役割に直結しています。
精子の生成には適切な温度が必要で、わずかな温度上昇だけでも精子の品質が急速に低下してしまうのです。
人間を含め多くの動物は睾丸が体外に飛び出した作りをしていますが、これは精子が非常に熱に弱いためです。
男性がノートPCを膝の上に乗せて作業するとバッテリーの熱で、生殖能力が低下するなどと話題になったことありますね。
これは精子が高温にさらされると、細胞の酸化ストレスが高まり、突然変異のリスクがあがってしまうのです。
たとえば、マウスの中核体温は 36.6°C ですが、睾丸は 34°C です。
37℃で作られた精子は生存率が低く、高レベルの未修復DNAとクロスオーバー形成が損なわれています。
さらに38℃で作られた精子は、過剰な変異DNAの負荷によりアポトーシスによって死滅します。
そのため哺乳類の精巣は通常、陰嚢に下降し、そこで空気の流れや血液の熱交換によって体温よりも低い温度に冷却されます。
しかし、ゾウの幸丸は体内にあるため冷却が十分に行われず、高い体温に晒されていると考えられます。
実際、上の図のようにゾウの体温を測ってみると、睾丸のある位置の体温が38℃近くに達していることがわかります。
またゾウの運動後の体温を調べた研究では、放熱板の働きをしている耳の血中温度が最大で44℃に達したケースも報告されています。
ゾウの精巣が体内に保持されていると、精子たちもこのような高温にさらされることになり、ほとんどの精子は死んでしまうはずでした。
しかし現実のゾウは精子が熱されても、安定して子孫を残し続けています。
研究では、このとき重要となるのが、突然変異を防ぐTP53遺伝子とp53タンパク質の働きだと述べられています。
TP53による突然変異を防ぐ能力が熱による精子遺伝子の突然変異を食い止めるのに十分ならば、睾丸が熱い体内にあっても問題ありません。
他の動物のようにTP53が1個しかない場合、精子を熱から守ることはできません。
ですが研究者たちは、現実のゾウのように20個あれば、可能になると考えました。
つまり、ゾウに多数の抗がん遺伝子「TP53」があるのは、精子を熱から守るための進化の結果であり、がん化を防ぐ能力は「嬉しい副作用」だったと言えるでしょう。
研究者たちは、精子の熱耐性を得るための進化がゾウの抗がん能力獲得につながったとする考えは、抗がん遺伝子がどのようにして出現したかを理解する上で、重要な洞察を与えてくれると述べています。