人気の行先は伊勢神宮!
日時 | 行程 |
1日目 | 夕方 学校集合、夜行列車で東京発 |
2日目 | 朝 伊勢着、外宮・内宮参拝
午後 二見・鳥羽観光(二見興玉神社、日和山など) 夜 伊勢着 宿泊 |
3日目 | 朝 列車で伊勢発
昼 奈良着、観光(東大寺、奈良公園など) 午後 列車で奈良発 夕方 桃山御陵参拝 夜 京都着 宿泊 |
4日目 | 朝~午後 京都観光(本能寺、京都御所、金閣寺、北野天満宮、平安神宮、清水寺、八坂神社、三十三間堂など)
夕方 夜行列車で京都発 |
5日目 | 朝 東京着 |
戦前の修学旅行の行程の一例 昭和戦前期における伊勢参宮修学旅行の研究 (jst.go.jp)より自作
それでは戦前はどのような修学旅行が行われていたのでしょうか?
例として1937年6月に行われた足立区小学校の参宮旅行について分析します。
ちなみにこの旅行の一カ月後に日中戦争が始まりましたので、社会の雰囲気はまさに開戦前夜です。
この旅行は、伊勢神宮を中心に行われ、京都や奈良といった現在の修学旅行ではメインとされる名所はその付属とされました。
というのも当時の政府は伊勢神宮を「我が国の宗門」として各神社のトップとしており、国民精神を統合するための国家的なシンボルとしていたのです。
その為「日本国民は伊勢神宮へ参拝するべきである」という考えが強調され、修学旅行の行先として選ばれることが多くなりました。
やがて1930年代半ばからは伊勢だけでなく、その近隣の奈良や京都も一緒に巡る関西修学旅行に発展しました。
この変化は、教員や親の思想や要望が反映されたもので、かつて江戸時代の庶民が伊勢参りを口実にして京都や奈良を巡って一生に一度の観光旅行を楽しんでいたことに類似しています。
現代でも修学旅行の定番といえば京都・奈良を連想する人が多いでしょうが、この習慣はここから始まったと考えられます。
この旅行では、2日目早朝に伊勢に着くとすぐに外宮に参拝しました。
その後内宮にも参拝し、そこで御神楽を奉納したのです。
旅行のしおりには「神域内では静粛に」や「参拝前に服装を整える」などと書かれており、当時の人々にとって伊勢参宮がいかに厳かなものであったのかが窺えます。
また京都では明治天皇の墓である桃山御陵を参拝しており、当時の皇国史観に基づいていることが窺えます。
このように、教育関係者や親の思いが旅程に反映され、子供たちに多くの体験と知識を提供することが意図されました。
交通手段に注目すると、この修学旅行は臨時列車を利用しており、「汽車は臨時列車で座席が決まっています」と明記されています。
子供たちは寝台列車に乗り、寝台板を用意して夜行列車に乗車しました。
この方式は、修学旅行専用列車や一般団体で利用される引き回し臨時列車の原型となったのです。
子供たちは長時間の夜行列車に乗車し、団体での参拝や見学、共同での食事、布団の共有などを通じて友情を深め、非日常の経験をしました。
この修学旅行は、戦前の時代において子供たちが日常生活圏から離れ、貴重な経験を積む機会でした。