虫は光に引き寄せられているのではない
多くの人々にとって、街灯や勉強机の明かりに虫たちが集まっている風景は身近なものでしょう。
夏場のコンビニの軒先など設置されている害虫駆除装置も光に誘引される虫たちの性質を利用したものであり、近づいてくる虫たちに「バチッ」という音とともに電撃を与え感電死させるものとなっています。
ただなぜ虫たちが光に集まるのか、その根源的な理由については謎となっていました。
これまでの研究では①~④の4つの有名な説が提唱されています。
①「虫には光に向かって飛ぶ走性があるとする説」は最も有名です。
しかし虫たちの動きを詳しく調べると、必ずしも光に向かって直進するわけではなく、むしろ光の周りをグルグルまわることが多いことがわかってきます。
今回の研究でもその事実が確かめられており、虫たちは上の図のように光源に「突撃」しているわけではないことがわかります。
②「昆虫が光を月をコンパスとして利用しているが人工灯によって混乱するとする説」も多くの人々によって支持されていますが、今回の研究ではこの説も否定されることになりました。
この説が正しいならば、昆虫には進行方向を維持するために、自分と光源の位置関係を一定に維持し、常に体の左右のどちらかを光に向けるように動くハズです。
しかし今回の研究では上の図のように、虫たちは光源の位置を切り替えだけで容易に体の反対側を光に向けて周回するようになりました。
この結果は、虫たちは自分と光源の位置関係(左右)について、特に拘りがないことを示しており、光源をコンパスにしているわけではないことを示しています。
また後述するように虫たちは光源の上を飛行中に失速や反転することが判明しますが、これらの現象も「光源コンパス説」では説明できません。
③「光源からの熱放射が虫たちを惹き付けているとする説」にかんしても、虫たちは別に暖かい場所に引き寄せられているわけではないことが解っています。
④「夜間適応した虫にとって人工光源は眩しすぎて混乱したとする説」もよく唱えられていますが、これでは虫たちが光の周りを器用にグルグル周回するような動きが説明できません。
なぜ多くの説が立てられているのに、決定的な答えが得られないのでしょうか?
インペリアル・カレッジ・ロンドンの研究者たちは、その原因が運動学的データの欠如にあると考えていました。
どの説もそれなりの予想をもとに組み立てられてはいるものの、光源近くで虫たちのリアルタイムの動きの変化について調べた研究はありませんでした。
そこで研究者たちは素早い虫の動きに追随するためのハイスピードカメラとトラッキングソフトウェアを用意し、人工光源に接近した虫たちに何が起こるかを調べてみました。
すると3つの意外な事実が明らかになりました。
下から光が照らされると虫の上下がひっくり返りそのまま失速&墜落
上の図が示すように、下からの光に照らされると飛行中の虫の背腹がひっくり返った状態になり、光源に背を向けるような状態になって失速し、墜落していきました。
上の動画では実際の虫が下から照らされる光に背を向けるようにして落ちて行っている様子を示しています。
もし虫が光に向かって直進するなら、光の上側で上下逆さまになる必要はなく、そのまま下向きに飛べば済むはずです。
上から光が照らされると急上昇を起こす
また虫が光源の下を通過した場合には、光源に背を向けながら急上昇を起こしました。
上の動画では右からやってきた虫が上から照射された光に反応して急上昇している様子を示しています。
また実験では急上昇した後に、多くの虫たちが失速を起こして墜落している様子もみられました。
横から光が照らされるとライトの周りをグルグル回る
さらに光が虫の横側からあてられた場合には、光源の周りをグルグル周るような動きをみせました。
興味深いことに、このとき虫たちは光源に対して「突撃」しているのではなく、単に背中側を向けるような飛びかたをしていることがわかりました。
上の図では縦長の光源の周りを虫が周回するように飛んでいる様子が示されています。
3つの結果はどれも虫たちが光源に対して背中を向けようとする過程で引き起こされ、結果的に光源への引き付けにつながっていました。
上の図はこれら3つの発見をまとめた図となっています。
ここで研究者たちが注目したのが「背光反射」と呼ばれる虫たちの性質でした。
背光反射は虫や魚によくみられる姿勢制御機能であり、明るい方向に背中側を向けようとする反射的な行動になります。
比較的大きな動物にとって上下感覚は重力を感知することで認識されます。
しかし小さな虫や魚にとっては空気や水の粘度が無視できない問題であり、適切な重力を感知することを阻む要因になりがちです。
そのため小さな虫や魚には重力と反対の方向(上)を光の明るさによって感知し、明るい方向に自動的に背中を向ける姿勢制御システムが存在します。
(※あくまで光に背中を向ける性質であり、光に近づく性質ではありません)
研究者たちは光源への接近が虫たちの背光反射を引き起こして、光源への急上昇や墜落を引き起こしている様子が人間にとって「見かけ上」光源に突撃しているように見えている可能性があると結論しました。
そこで次に研究者たちは実際の虫と同じように光源に近づくと「背光反射」を起こすようにプログラムされた架空の虫をシミュレーション空間に設置し、行動パターンを調べました。
すると「光源に接近すると背中を向ける」という簡単な機能しか持たない虫たちにも実際の虫と同じように光源への急上昇や墜落、周回を引き起こすことが判明。
以上の結果は、虫たちに備わった背光反射という世界の上下を認識する単純な仕組みが人工光源によって乱されたことが、虫たちを光の周辺に拘束し続ける原因であるとを示唆します。
背光反射は古くから知られていた反応でしたが、光が昆虫をとらえる原因であると提案されたのは今回の研究が世界ではじめてとなります。
しかしそうなると気になるのが、遠距離から照らされる光の効果です。
今回の研究は光源から数メートルの範囲にいる虫たちの挙動を調べただけであり、より長距離から照らされた光に虫たちが近づいていくことを否定できません。
ただ近年になって行われた研究から、遠くの光に虫が向かっていく可能性は低いと判断されます。
この研究では85メートル先に光源がある空間のなかで50匹の虫が放たれましたが、光源にたどりついたのは2匹のみでした。
そのため研究者たちは、人工照明は遠くにいる虫を惹き付けているのではなく、たまたま近くを通過した昆虫を「明るい範囲に閉じ込めている」だけであると述べています。
また追加の研究では、虫によって背光反射の起こしやすさに違いがあることもわかりました。
たとえばショウジョウバエの一種である「Drosophila spp」や蛾の一種である「Daphnis nerii」などは他の種に比べて背光反射を起こしにくいことが明らかになりました。
そのため研究者たちは、種によって背光反射を起こしやすい光の波長が発見できれば、有害な虫だけを光で集めて駆除できるようになる可能性があると述べています。
人間にとって虫の命は些細なものかもしれませんが、無駄に殺さずにすむならば、それに越したことはないでしょう。
※この記事は対象研究が査読付き論文誌に掲載されたことに合わせて、2023年4月23日に公開した記事を再編集して掲載しています。