日中ともに高級遊女には美貌だけでなく高い教養が必要だった
このように聞くと日中双方で遊郭は全く違う歴史を辿って行ったように見えますが、双方ともに共通点も多くあります。
吉原の最高級遊女である太夫は、住むところを豪華に装飾し、一流の高級品で身を飾っていました。
太夫は金持ちや武士など地位の高い客を相手にし、特に吉原の太夫は京や大坂の太夫と比べても華やかな装いでありました。
また太夫は容姿が優れているだけではなく教養も豊かであり、舞、管弦、茶道、和歌、俳諧などさまざまな芸術や学問に通じ、『八代集』や『源氏物語』などの文学作品も読むことができたのです。
太夫の客は地位の高い人々であり、彼らをもてなすことになる太夫にも高い教養が求められていました。
というのも遊郭にやっている身分が高い男性は、太夫に対して性的なサービスだけでなく、「対等な会話の相手」としての役割を求めることも多く、それゆえ太夫には彼らの話を合わせる必要があったのです。
現代でも銀座などの高級クラブのホステスには高い教養が求められると言われていますが、それに近いですね。
彼女たちは幼少時に遠い地方の貧乏な農村から将来の太夫としての適性を見極める女衒(ぜげん)によって買われ、芸術や学問を身につけられました。
彼女たちの言葉遣いは「ありんす言葉」と呼ばれ、独特な廓言葉が用いられたのです。
というのも当時の日本は現在以上に各地方間の交流がなかったということもあり、日本全国から女衒が集めた遊女たちは各々の出身の方言で話した場合、同じ日本人だったとしても聞き取ることができないということが多々ありました。
その為遊郭では廓言葉を使うことにより、客とコミュニケーションが取れるようにしたのです。
また当時の男性は遊女に対して出来れば高い身分の女性であってほしいと考えていたこともあり、高貴に聞こえるような廓言葉はそういった男性にとって居心地のいいものでした。
一方秦淮の遊郭も太夫のような高級遊女はおり、彼女らは裁縫や管弦など多岐にわたる芸術や知識に堪能でした。
客は主に文人や地位の高い人々であったり、彼女たちは文人と比べぬほどの豪華な書斎を持ち、素晴らしい詩文や絵画を残しました。
また彼女たちは部屋の装飾や香りにも細心の注意を払い、客を俗世から離れた世界へと導いたのです。
美しさだけでなく、性格や言葉遣いも評価され、衣装も上品なものを身に着けていました。
高級遊女との交際は社会的な流行となり、文人たちは彼女たちとの交流を誇りにしていたのです。
このように日中両国の遊女たちは、一流の人物には高い教養が求められていた点が共通してきます。
また高級遊女たちは客の意のままにはならない意気を示したり、中には柳如是(ワン・チエン)のように華やかさの中にも強さを隠し持っている人物さえいました。
柳は当時の名士であった銭謙益(チン・ハン)の愛人であり、清軍が攻めてきたとき節義を守るために銭に自殺をするように求めました。
銭はこれを断ったため、柳は池に身を投げて入水自殺をして、銭に先立って死のうとしたのです。
結果的に柳の入水自殺は失敗に終わり、銭は明朝滅亡後に清朝に使えるなど柳の思惑とは正反対に進みました。
しかしこのような気骨のある遊女が生まれたことは、高級遊女の文人化と大いに関係があるでしょう。
売春婦は世界最古の職業であるといわれていますが、あまり歴史の表舞台に上がることはありません。
しかし日中両国の高級遊女たちは、しばしば歴史の表舞台に上がることもありました。
その理由については未だにはっきりとしたことは分かっていませんが、個人的には日中両国の遊郭の利用者たちが高級遊女に性的サービスだけではなく、話し相手や芸術の交流相手としての役割を求めたからなのではないかと考えています。
それらのニーズに高級遊女たちが応えたことにより、後世に名を残す高級遊女が生まれたのではないのでしょうか。