明代版『三国志演義』からの「桃園の誓い」の挿絵、ここから三国志の物語は始まった
明代版『三国志演義』からの「桃園の誓い」の挿絵、ここから三国志の物語は始まった / credit:wikipedia
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わずか30年で人口が4分の1に!中国三国時代の人口激減について (3/3)

2024.04.14 00:00:00 Sunday

前ページ戦乱で人口集計が正確ではなかっただけ?

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人口的に見てあり得ない三国志演義の動員兵

赤壁古戦場の跡地、三国志演義では曹操が100万人の軍勢を率いているが実際は5分の1程度であった
赤壁古戦場の跡地、三国志演義では曹操が100万人の軍勢を率いているが実際は5分の1程度であった / credit:住友商事グローバルリサーチ

余談ですが、三国志演義(中国の明の時代に書かれた長編小説、歴史書の「三国志」とは別物)では大量の兵士を動員して行われている合戦がしばしば描かれています。

具体的には曹操がライバルの袁紹(えんしょう)を破った官渡の戦いでは曹操が10万袁紹が70万の兵を率いたとされており、孫権と劉備が曹操を破った赤壁の戦いでは孫権と劉備が3万、曹操が100万の兵を率いたとされています。

しかし動員した兵たちの食糧や武器は必要であり、これらを用意することができなければ軍隊として動員することはできません

先述したように中華全土で相次ぐ戦乱と飢饉によって人口が激減していたことを鑑みると、一地方の勢力に過ぎない群雄が70万や100万の兵を動員して合戦に赴くのはまず不可能といっていいでしょう。

実際に正史では官渡の戦い曹操1万VS袁紹10万赤壁の戦い孫権・劉備3万VS曹操20万と書かれており、こちらはまだ現実的な数値と言えます。

三国時代は戦乱が続くだけでなく飢饉も相次いでいたということもあり、庶民たちにとっては非常に暮しにくかった時代です。

三国時代には群雄たちが大活躍している華やかな側面が目立ちますが、中華全土の人口という数字の記録に目を向けると、このような負の側面も多くあったことがわかります。

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わずか30年で人口が4分の1に!中国三国時代の人口激減について (3/3)のコメント

天動説

俺も三国志好きで吉川英治だけで10回位、その他の作家さん約5人その本も数回づつ読みました、此の物語は壮大さが命だから兵数はかなりおおげさに表してます。号して100万とかよく書いて有ります。まあ実際は10分の1位でしょう、それも兵ではなく軍属や人夫も含めでしょ、100万だとしたら、長坂坡の戦い行軍するのに、峠路全体が通過どのくらいかかる?赤壁は孫権劉備2万が関の山、曹操軍は6、7万でしょ、浮足立った部隊は大した事無い、近代の例第二次大戦末期ベルギーから国道1号線連合国側の攻撃「映画遠過ぎた橋」最後のアルンヘムの橋にイギリス近衛空挺団とポーランド空挺旅団が
降下約18000名の兵士のうち8000名の兵が負傷及びその中の何割かが戦死、迎えうったのはビットリッヒ中将の機甲師団、たった2両のタイガー戦車に蹂躙されました。ドイツ軍の大大勝利連合軍負傷兵置き去りで退却、此れをみても兵の戦死負傷はどぎつい痛手、赤壁での戦死者数十万は大げさ。関ヶ原の合戦でも兵数の2割死傷者出ると大負けだって、ちゃんと隊列組んで撤収すれば落ち武者狩り怖くない、バラバラに成るからヤラれる、いくら落ち武者でもしっかり組んで撤収すれば、狩る方も手が出せない、誰だって傷つきたくないよね、だから総合して100万とか大げさデス。

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