老化は「徐々に」ではなく「一気に」?
少なくない人々は、鏡をみて自分が思ったよりも老け込んでいることに気付くことがあります。
このような悲劇は、脳内で抱いている自分のイメージと、実世界の肉体の若さに大きな乖離が生まれていることに起因します。
ですが興味深いことに「ここ最近で一気に老け込んでしまった」というような感想は、3日に1回しか鏡を見ないズボラな人だけでなく、毎日鏡で身だしなみをチェックしているオシャレな人からも聞こえてきます。
もし老化が年齢にリンクして徐々に進むなら、少なくともオシャレな人からは「ここ最近で一気に」という印象は得られにくくなるはずです。
この経験談は(恐ろしいことに)容姿の老化がある時期に集中して起こることを示しています。
一方で、日本には古くから厄年の概念が存在します。
厄年の元々の語源は「役年」から来ており、これは一定の年齢に達した人々に公的な役職を与える制度を意味していました。
しかし現在一般に普及している厄年の概念は「特定の年になると災いが降りかかる」というものになっています。
また近年の生物学の進歩により、健康寿命が重視されるようになると、厄年は老化が露わになる年と、とらえる人々も増えてきました。
ただ伝統的な生物学では老化は徐々に進むと考えられていたため、急激な老化や厄年との関連性はネガティブな思い込みと考えられがちでした。
安定した状況にある化学物質の反応速度が一定のように、環境が大きく変わらない限り生物の老化も一定に進むと思われていたからです。
しかしここ十数年ほどで生体分子の測定技術が急速に進んだ結果、少しずつ状況がかわってきました。
たとえば個人の血液成分に含まれる生体分子の比率を調べると、特に病気がない人でも、特定の年齢を境に大きな変動を起こしていることが明らかになったからです。
これが事実なら、伝統的生物学のスタンスよりも、生物学的年齢の概念を取り入れ進化した厄年の概念のほうが、より実情に近くなってきます。
ただ既存の分析では、調査対象となった生体分子の種類が少なく、包括性に欠けていました。
血中にある数種類の生体分子がある年齢で大きく比率が変化していたとしても、それと老化現象をイコールで結びつけるのは、科学的にみても乱暴と言えます。
そこで今回、スタンフォード大学の研究者たちは、108人の健康な成人を対象に、RNAやタンパク質をはじめとした各種の生体分子、さらに腸内細菌叢の変化など、合計で13万5239種類の生物学的因子が、年齢に応じてどう変化するかを調べることにしました。
さらに得られた測定値から2460億個を超えるデータポイントが生成され、生体分子の増減に他との連携パターンがあるかどうかが分析されました。
この情報量は、既存の生体分子研究と比較しても、桁違いと言えます。
もしこの規模の分析により、特定の年齢に生体分子や腸内細菌叢の数値に一致して大きな変化があれば、それを「老化」と解釈して「そもそも老化は一気に進む場合もある」と結論することができます。