第3章:タイムループで「著者がいない本」や「根拠のない記憶を持つ人」が出現する
ここからは、Gavassino氏の研究で特に印象的な事例として挙げられている「著者のいない本」と「根拠のない記憶」について見ていきます。
どちらも、私たちの“常識”を越えた不思議なイメージを抱かせるものですが、博士の論文によればCTC の世界では決して矛盾しないといいます。いったいなぜ、そんな奇妙な現象が起こりうるのでしょうか?
前章で述べたように、CTC上ではエントロピーがいったん増加してから再び減少し、最後には初期状態へと巻き戻される可能性があります。
言い換えれば、ループのどこかでエントロピーが最小値をとる瞬間が必ず存在するわけです。
この最小エントロピーのイベント周辺では、通常なら「高エントロピー化(不可逆過程)によって生じる秩序の破壊」が起きにくいため、突然、きわめて秩序だった構造が“生成”されることがあり得ると考えられます。
世界からほとんどの記憶やデータが失われてエントロピーが最小値をとった瞬間、秩序だった書物のような情報が瞬間的に出現する条件が現れるわけです。
言い換えれば、通常なら「著者」という原因によって「本」という結果が生まれるはずが、この点では因果関係自体が途切れているために、まるで真空中の量子ゆらぎから粒子が出現するように、熱力学的フラクチュエーションによって、確率的に複雑な情報を持つ存在が出現できるという意味です。
熱力学的フラクチュエーションは、ランダムな揺らぎが発生する現象です。これは、システム内の粒子やエネルギーが偶然的に一時的な状態を作り出す自然の性質に由来します。
このような揺らぎは、特に小さなスケール(例えば分子レベル)で顕著ですが、大規模な系でも統計的に蓄積されることで異常な現象を引き起こす可能性があります。
CTC内では時間がループしているため、このようなフラクチュエーションが「待つ時間」が事実上無限に長くなります。
通常の宇宙では「完璧な紙の山が偶然現れる」のを待つのに膨大な時間がかかりますが、CTCでは時間が循環しているため、統計的に「いつか必ず」その瞬間が訪れることになります。
これを本の例に置き換えると、「一見すると誰も書いていないはずの本」がエントロピーの変化に伴い出現することがあるのです。
これは、物質やエネルギーがランダムに配置を取り直し、偶然的に「本の形状」という秩序だった構造を作り上げるからです。
「過去の因果関係なしに完成度の高い書物や記憶が現れるなんて、論理的矛盾ではないか」と感じる方も多いでしょう。
ところが、量子論的には不確率やゆらぎが存在し、統計的な観点から見れば確率が非常に低いだけでゼロではない現象は無数にありえます。
通常のマクロな世界では天文学的に低確率すぎて観測不可能ですが、CTCのような特殊環境では「短いループ時間での繰り返し」を経ることで、ごく稀な事象が生起してもおかしくないと考えることができます。
これと同じ現象が書物ではなく人間の脳で起きた場合、熱力学的なゆらぎによって偶然に組み合わされた神経細胞が、根拠のない記憶を形成する可能性があります。
“著者がいない本”: エントロピー最低点(あるいは巻き戻り)で因果的プロセスを経ずにモノが出現する
“根拠のない記憶”: 同様に不可逆的に蓄積されるはずの記憶が、一方では巻き戻され、他方では因果的根拠なしに立ち上がる
ここまでくると「あまりにも偶然(確率論的)に頼りすぎでは?」と思う人もいるでしょう。
著者不在の本や理由なき記憶が出現する理屈は、確かに通常世界では起こりにくい極低確率の現象です。
ただ、CTCが存在する空間では、エネルギーレベルの周期的束縛やエントロピー再帰のような独特のメカニズムが働き、通常以上に「低確率事象が繰り返し起きる」環境が整ってしまう可能性があります。
つまり、「偶然一度起きるかどうか」ではなく、周回ごとに同様の不思議な状況が繰り返される構造があるため、“ごく稀な事象”が思わぬ形で顕在化しても不思議ではない――という説明が成り立ちます。
もし、このような“無因生成”シナリオをSF作品に取り入れるならば、登場人物が「誰が書いたのかわからない史書」を発見して混乱したり、「突如として膨大な記憶をもつ謎の人物」が現れ、それが真実かどうか確かめようにも証拠が消えてしまう――といったストーリーが展開できるでしょう。
従来のタイムトラベルSFとは違い、「時を越えて直接的に過去を変える」のではなく、「CTC内で一時的に生じた秩序や記憶が幻のように現れては消える」構図は、ある意味でより不条理な印象を与えます。
しかし、それが量子統計力学と相対論の合わせ技でいえば説明不能でもないというのが、近年の理論研究の面白いところです。
もうひとつ興味深いのは、「CTC 上で年老いた自分が若い自分に会う」ようなSF的シチュエーションの行方です。
先に述べたように、もしCTCで異なる地点・時刻に実体として“別々の自分”が現れるなら、その出会いによるパラドックスが懸念されます。
ところが、新理論の示すところによれば、そもそも記憶や状態が巻き戻されるので、年老いた自分が若い自分と対話するような場面は物理的に持続しないと考えられます。
もし見かけ上は「もうひとりの自分」がそこにいたとしても、実際には“自分の未来”から来たわけではなく、CTC のエントロピー極小点で偶然出現した“別の存在”かもしれません。
それに、その人が本当に未来の自分だと信じる根拠は、ループ終盤でどのみち消えてしまうため、確証も得られません。
因果律の破壊を回避する代償に、全ての記憶は忘れられ、全ての痕跡も消えていくのです。