なぜお尻の穴からタバコの煙を吹き込んだの?
タバコ浣腸が最も流行していたのは18世紀のイギリスです。
ロンドンを流れるテムズ川では当時、水難事故が多発していました。
大都市ロンドンの憩いの場として多くの人がテムズ川に集っていたのですが、まだ泳ぎ方が人々の間に浸透していなかったせいで、溺れる人が続出したのです。
イギリスの医学界は「溺れた人たちの何かいい蘇生法はないか?」と頭を悩ましていました。
そこで目をつけられたのが、当時イギリスにも輸入され始めていたタバコです。
ロンドンで医療を営んでいたウィリアム・ホーズ(1736〜1808)とトーマス・コーガン(1736〜1818)は、溺れた人のお尻の穴にタバコの煙を吹き込む「タバコ浣腸」を推進し始めます。
彼らはタバコの煙を吹き込むためのチューブを持ち歩き、テムズ川で溺れて意識を失った人を見つけたら、川から引きずり上げ、服を破ってうつ伏せにし、お尻の穴にチューブを接続して、タバコの煙を吹き込んだのです。
![画像](https://nazology.kusuguru.co.jp/wp-content/uploads/2025/02/Anal_tobacco_blower_life_saver-614x600.jpg)
彼らがタバコ浣腸をしようと考えた理由は2つ。
1つはタバコの煙が体を温めることで、溺れた人の意識が戻ると思ったから。
もう1つはタバコの煙が呼吸器を刺激することで、溺れた人の呼吸が促されると思ったからです。
しかし言うまでもありませんが、タバコの煙をお尻の穴に吹き込んでもそんな効能は得られません。
ただホーズとコーガンはタバコ浣腸の有効性を信じきっており、「溺れた人を見つけたらタバコ浣腸をするように」と推進しました。
その結果、タバコ浣腸のキットも販売されて、一般家庭でも普通に行われるようになったのです。
![画像](https://nazology.kusuguru.co.jp/wp-content/uploads/2025/02/800px-Tobacco_smoke_enema_device-443x600.jpg)
ところがチューブを介して口から直接吹き込む方法には難点がありました。
というのも施術者が息を吹き込むのではなく、間違って吸い込んでしまうことがあったからです。
これは単純に汚いだけで済む話ではありません。
水難者がコレラ菌に感染していた場合、施術者はお尻の穴からコレラ菌を吸い込んでしまって感染することがあったのです。
そうして悲惨すぎる死に方をする人が出たため、医師たちは空気を入れるための「ふいご」(上図の右)を開発しました。
ふいごを使うことで、施術者はわざわざ口から息を吹きかけなくても、手や足で安全に救助活動ができます。
しかしそもそもタバコ浣腸にはまったく効果がありませんから、水難者が意識を取り戻さないことも多々ありました。
そこで奥の手として行われたのが「人工呼吸」です。
今日の私たちからすれば「いや、最初から人工呼吸しろよ… 」と思うでしょうが、当時のイギリスではマウス・トゥ・マウスで直接息を吹き込むことが「下品ではしたないもの」と考えられていました。
そのため、医師たちもタバコ浣腸がダメなときはふいごを使って水難者の口から肺に空気を送り込んだといいます。
ところが病院の助産師たちは意識を失った赤ん坊に積極的に人工呼吸をしており、これが非常に効果がありました。
そして科学的にも人工呼吸の正しさが明らかになるにつれて、タバコ浣腸から人工呼吸へと取って代わられるようになるのです。
![画像](https://nazology.kusuguru.co.jp/wp-content/uploads/2025/02/ab6b276436e8642fb9b45d5d9ab153bf-900x600.jpg)
その後19世紀に入ると、タバコは徐々に医療目的では使われなくなっていきました。
タバコの葉を燃やすことで発生する物質が体に有害であることがわかってきたからです。
その物質の一つが「ニコチン」であり、これは喫煙者の脳や神経系を興奮させて依存症を引き起こすことで知られています。
20世紀にもなると、タバコはがんや喘息、心疾患、糖尿病などの発症リスクを高めることが明らかになり、さらに今ではタバコを吸っていなくても、喫煙者の煙を間接的に吸う「受動喫煙」も危険であることは皆さんもご承知の通りです。
私たちは幸運にもタバコの有害さを知っている時代に生きていますが、もし18世紀のロンドンに生まれていたら、お尻の穴にチューブを挿し込まれて、タバコの煙を吹き込まれていたかもしれませんね。